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2017-09-02 15:56 追加

迫田さおりさん 引退に寄せて(前編)「思い出すのは、東レ入団当初のダメだった時の自分」

V1リーグ 女子 / 全日本代表 女子

──少し振り返っていただいて、東レというチームでやれたことはいかがでしたか。

本当にラッキーでした。東レしか経験していないので、他のチームがどうなのかはわからないんですけど、東レアローズに入団させてもらったからこそ今の自分がいると思うんです。会社、スタッフ、選手の先輩・後輩……自分がもうダメだというタイミングタイミングで東レの方が助けてくれました。

東レの会社には東レアリーナを作っていただいて、いい施設でずっと練習させてもらったことを感謝しています。

入団当時は何にもできなくて、“なんでこんな選手連れてきたんだよ”みたいな選手だったと思うんですが、菅野さん(菅野幸一郎監督)は普通だったら捨てて違う選手にいくというところを、ずっとずっと指導してくださった。それがなかったら今の私はないと思います。育ててもらった一番の方、菅野さんじゃなかったら無理だったと思います。本当に感謝しています。

選手のみんなには、入団当初、ホームシックになってしまったり菅野さんに怒られて泣いていたときにも、練習では厳しくてもコートから離れたら「リオだからだよ」「リオは絶対できるから」「怒られてるうちが花なんだから、今頑張らないとダメだよ」って励ましてもらって……オンオフをしっかり分けて指導してくださる監督、コーチ、選手の方々に本当に助けられました。

全体的にみても、東レっていうチームは私にとっては絶対的な、ここじゃないといけなかったというチームだったと思います。

──その頃はオリンピックに出るなんて思えなかった?

思わないです、思わないです。全日本ですら思ってなかったです。でも誰も思っていない中で、エリカさんから「ね、リオ、ほんとに本気で頑張んなよ、全日本行けるかもよ」って言ってもらって、“え? 何言ってるんだろう”って感じになったことがありました。

──荒木さんは迫田さんの何を見て声をかけられたのでしょう?

スパイクを打っているときでした。ふわーと近くに来られて「リオ、絶対、もっと頑張ったら(全日本)行けるよ」って。それまでほとんどしゃべったことがなかったのにそう言ってもらって、ええー! いやいや無理でしょう、みたいな感じで(笑)嬉しかった反面、え? 何見て言ってるんだろうっていうのが大きかったです。

──セッターの中道さん(昨季はコーチ)の存在も大きかったのでは?

ほんとにそうです。スパイクが全然打てないときから、ミチ(中道)さんは自主練になっても何時間もずっと(トスを)上げ続けてくれて、最後、体育館にミチさんと私と誰かみたいになるくらい遅い時間まで残ってずっと。疲れていると思うのに、「いいよいいよ、リオが打ちたい分トス上げるから言ってね」って。それは私が1、2年目からミチさんが引退するまでずっと変わらずでした。「打ちたかったら呼んでいいから、いつでも上げるからね」って。そして「今のはこうだったから打てなかったんじゃない」というところまで教えてくださった。ほんとに感謝しかないです。だからこそ東レじゃないと私はダメでした。

──そういう中で自然に、迫田さんの代名詞ともいえる「バックアタック」も生まれて……。

はい、はい、そうです。ミチ(中道)さんのおかげで。私はただ助走して跳んでいるだけで、ミチさんがそこに合わせてトスを上げてくれました。私は何にも考えずに打っていただけでした。最初から最後までそんな感じで。今思ったら、打ってるのは私ですけど、結局はミチさんやテン(竹下佳江)さんのバックアタックだったのかなってふと思いました。いい所で上げてくれるんですよ! そんなセッターがいなかったら何もない私だったので感謝しかないです。

──「バックアタック」の……っていろんな人から言われますよね。やっぱり嬉しいですか?

はい、言われます。やっぱり嬉しいですが、自信がなかったり打てなくなった時期もあったので、胸を張って「私の武器はバックアタックだったんだ」ってちょっと言えない部分もあります。

──バレーを続けてきた中で、一番思い出すことはどんなことですか?

やっぱり入社当時、1、2年目のボロボロで全然ダメだったときの自分ですかね。めちゃめちゃ怒られていた頃のことが印象深いです。今はあれがあったからよかったんだって思えますが。あんなダメだった私を周りが育ててくれて、ここまで成長させてもらったんだと思ったら……あの時期が一番濃いですね。

──高田(ありさ)さんが引退されるシーズンのファイナル3、試合後に木村さん高田さんと3人で抱き合っていたシーンも印象的でした。

あれは……あのシーズンぐらいからなんです、サリ(高田)さん、サオリ(木村)さんと一緒にいさせていただいたりお話させてもらうようになったのが。もっともっと頼っておけばよかったとあの時に気がついて。

それまで自分ではそんなつもりはなかったんですが、自分が思っていることを人に何も発していなかったし、人に頼ることもしていなかったんだろうと。でもその年は話してなくてもサリさんとサオリさんがいてくれるだけで安心で、こんなふうにずっとやれていたらどんなによかったか、もっともっと楽しくバレーボールができていただろうと……。

後半になって気づくことって多いんだなってすごく感じました。もっと話したりすればよかったのに頼り方がわからなくて、「もっと話したほうがいいよ」「抱え込んだらダメだよ」って先輩からそうするきっかけはもらっていたのに、私は「え? 私抱え込んでもいないし話してないわけでもない」って思いこんでいて、どうして私は……と。頼れたその年は1試合1試合はしんどかったですが、また違ったしんどさで、なんでもっと早くって。

──確かに1人で戦っているような感じ、そう見えた時期もありました。

そうでしたか。そういうのが自分では気づかなかったんです。先輩たちはそれを気づかせてくれて、1人にしないようにしてくれたのに、私はそれに甘えられなくて。甘えたくないということではないんです。「別に私、1人でやってないです」って思っていたから。でも外から見れば「強がっている」「なんでこっちに寄ってくれないの」とそういう思いがあっただろうに、それでもそんな私でも、先輩たちはいつでも声をかけてくれました。感謝しかないですね。

全日本でもリオ五輪に向けてはユメ(山口舞)さん、エリカ(荒木)さん、サオリ(木村)さんが上にいてくれて……何にもできないというのを知ってくれているので、素の自分でいれました。甘えさせてもらったり気にかけていただいたり、どこにいっても感謝ですね。

──気づけてよかったですね。バレー教室や指導する機会があれば、同じような選手に気づいて声をかけてあげられるのでは。

気づくのやっぱり遅いんだな、私はって思いますが(笑)ほんと気づけてよかったと思います。そういう経験をいろんなことにつなげていきたいです。

後編に続く

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