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コラム

2019-01-16 16:48 追加

カーテンコール 追悼・ロス五輪代表 奥野浩昭さん(サントリー)

Others / V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子

声援に発奮

「現役時代の思い出ですか? 僕が全日本入りたての頃って、藤田さんが大人気だったのね。下町の玉三郎だかなんだかって言われてて。で、僕が選手交代でコートに入ると、さっきまでの声援が“ふっ”って静かになるんですよ。“あーあ”みたいな声も聞こえたりして(苦笑)。『何くそ!そのうち俺だってすごいプレーを見せて、わーって言わせてやる!!』って思いましたよ。応援は、そりゃなければ悔しいし、あれば嬉しい。素直にそう思いますね」。

「それから……。84年のロス五輪予選のときだったかな? あの時、バレーボール雑誌に『韓国・中国は僕に任せろ!』っていうタイトルのインタビューを掲載されて、花輪さんなんかにずいぶんからかわれましたよ。『それじゃあ、奥野に任せたからな』ってねえ(笑)」。

「プレーで憶えてることは…どうだろう。古川靖志のトスは、言われてるほど打ちにくくはなかったよ。意表はつくけど、いったん呼吸を飲み込むと、案外打ちやすかった」

日の丸を背負う意味

話がオリンピックのことに及ぶと、奥野は熱っぽく語った。
「今回の五輪は、男女ともに不出場ですが、日本がものすごく弱くなったとか、そういうことじゃないと思う。僕らの頃とそんなに事情は変わってないんじゃないかな。ロスの時、僕らもすごい必死の思いで出場権をもぎ取っていたから。中国戦なんて本当に大変だった。田中幹保さんが途中で肩があがらなくなっちゃうくらいだったんだ。あの試合に勝った時のことは今でもよく憶えてる」。

「だから、いたずらに悲観論を唱える気はないんだけど、やっぱりジェネレーションギャップは感じるな。日の丸を背負って試合をして、負けたときにニコニコ笑ってるのは『違うだろ』って思うんだ。勝負事は向こうっ気の強さで決まる。“内に秘めた闘志”なんて嘘っぱちですよ。ホントに勝ちたいときは、絶対その気持ちがむき出しになってるはずなんです」。

「僕のバレー人生は短いものだったけど、今でも海外に行けば現役当時知り合いになった選手と会って飲んだりする。すごく充実した時間だったと思う。あとは、僕らバレー選手のOBや現役選手たちで、地域にうまくつながった関係を創りあげてみたい。サントリーはせっかく全国に営業所があるんだし、草のバレーの底上げにも、会社の利益にもなるんじゃないかと思って。いろいろ考えて、提案してるところなんだ」

トマトジュースをすすりつつ意欲的な企てを語る奥野は、しごく楽しそうであった。

文:中西美雁

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プロフィール
奥野浩昭(おくの ひろあき)

1960年9月23日生まれ 享年58歳
出身地:宮城県仙台市
出身校:仙台商業→東海大
身長:187cm
血液型:O型
ポジション:ライト
指高:240cm スパイク:330cm

東海大学在学中のバレーボール世界選手権に出場、卒業後は、サントリーに入社、1984年にはロサンゼルスオリンピック日本代表に出場した。1989年に引退した。

1983年 – 全日本選手権 若鷲賞
1984年 – 第17回日本リーグ 新人賞・猛打賞・ベスト6

 

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