2019-06-10 18:40 追加
プリンセスメグ・栗原恵引退会見全文後編「ロンドン五輪落選のときはとてもつらかったが、そこで一度背負っていたものが落ちて、改めてバレーが好きだと感じた」
V1リーグ 女子
――ここ数シーズンはJT、その前は日立リヴァーレで活躍されましたが、今シーズン2月の富山戦では初先発で非常に活躍されていましたが、ああいうプレーを見るとまだまだできるのでは遠もいます。
本当に1試合、2試合短いプレータイムでしたが、誰かの心に残るプレーができたのはよかった。あの試合は楽しくて、ストレートで終わったんですけど、正直言えば楽しくてもっとやっていたかった。試合を迎えるまでの準備というのが、バレーボールはとても大切で、冬がオンシーズンなんですけど、夏場はハードな走り込みなどを乗り越えての結果を冬に披露する。中途半端な決断では、1年を迎えることはできないというのは長くやってきてわかっていた。一度引退を決めた立場から、中途半端に戻ってくることはできない。
――先程の質問でも印象に残る試合はなかなか思い出せないといいますが、選手は。
個人というのは難しいですが、最後の黒鷲旗で、日立リヴァーレと対戦する機会をもらえて、JTの大好きなメンバーのなかで、相手が前所属の日立リヴァーレのみんなで、そういう試合ができるというのは、バレーの神様が与えてくれたのかなと。運命を感じて幸せでした。
――一緒に戦ってきた仲間への思い。明日からの日本の大会、東京五輪にむけての選手たちに。
本当にたくさんのことを抱えてコートに立ってるのは自分も経験していてわかっているので、過剰に頑張れとはなかなか簡単に言えない。ただ怪我せず、最後まで思い描くプレーをしてほしいなと思います。
――オリンピック出場2度ありますが、印象に残っていること、全日本で。
オリンピックは正直悔しい思い出が多くて、なかなか勝てなかったり、もがいてた時間のほうが印象に残っています。
全日本の試合としては、アテネの前に迎えた最終予選は、日に日に自分自身もチームも成長
していくのを感じられた大会なので、今もなお深く印象に残っています。
――若い頃からずっと注目されて戦う中で、いろんなものを背負ってきたと言われましたが、10代で日本代表のエースで戦っていた頃、どんな心境だったか。
シンプルに楽しいというのはいつからか。
日の丸がついたユニフォームで日本を代表してコートにたつというのは、幼い頃からテレビですごいなと思っていた選手の中に、自分が入ってプレーするということを感じたときに、自分はすごいことをしてるんだなと思いましたし、1試合勝つとメディアに取り上げていただいたり、みんなからおめでとうと言われたり、反響の大きさにプレッシャーに感じてしまうタイプでした。
――素直にバレーボールが好きだなと感じられるようになったのは、ロンドンオリンピックの選考に落ちたときは正直すごく辛かったんですけど、そこで一度背負っていたものが落ちた。
プレッシャー以上に本当にバレーボールが好きだったということを思い出せたと思います。
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