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インタビュー

2013-06-15 23:47 追加

杉山祥子インタビュー15年間の軌跡

V1リーグ 女子 / 全日本代表 女子

全日本での思い出

―杉山さんは2度の五輪出場など、全日本でも長年活躍されましたが、いちばん思い出深いのはどんなことですか

2003年のワールドカップがあった年は印象的でした。それまでは葛和さん、吉川さんと全日本の監督さんもNECの方でしたが、柳本(晶一)さんが就任して、初めてNEC関係者ではない監督さんの下でプレーすることになって…。バレー界にとっても節目の年でしたよね。シドニー五輪の出場権を逃して以来低迷し、注目してもらえなかった中で、トモ(吉原知子)さんという絶対的なキャプテンが就任して、メグカナブームも起こったり…。急に女子バレー人気が上昇した年でした。特に、トモさんの存在感はすごかったですね。今まで出会ったことのない、キャプテンシーの持ち主で、バレーに対する意識も高かった。ストイックで、自分に対して妥協を許さない。後輩に対しては、口で言わずに行動で示していく。本当に偉大な先輩でした。

―吉原さんとは同じポジションでしたが、印象に残っていることは?

トモさんの引退後、解説などの仕事をされるようになってからのことなのですが、2006年の世界選手権で、自分では特に調子が悪いとは感じていないのに、大会前にAチームに入れず、心折れそうになりながら、大会を迎えました。そんな私をトモさんが見ていてくれて、「大丈夫。スギの出番は絶対に来るから!」と言ってくれた。それで気持ちが軽くなり、「自分がベストを尽くしていればいいんだ」と思えたんです。自分のベストを尽くしてもダメなら、応援してくれる人にも心置きなく手を振れるはず、と。試合に出ることだけがすべてではなく、控えの経験もよい勉強になりました。ずっとレギュラーで出てるだけではわからないことがたくさんありましたし。その時は悔しかったし、悩んだけど、終わってみると、その経験があったからこそ、話せることがありますね。

―北京五輪後、2009年からは全日本を辞退されていました。ロンドンを目指そうと思わなかった理由は?

2007年に結婚し、それまではバレーが一番だったけれど、今までとは違うと思うようになりました。夫やその家族のことも考えていきたいと。

オリンピックを目指すということは中途半端な気持ちではできないですよね。4年間、バレーのことだけを考えていかないと無理です。私はシドニーには行けませんでしたが、それを目指すメンバーでしたから、アテネ、北京と3大会目指してやってきましたし、もういいかな?と。それまではトップレベルでやるからにはオリンピックを目指したいと思ってやってきましたが、全日本だけがバレーではないという価値観の変化が生まれたんです。そこからはNECというチームのために頑張っていこうと思いました。

アテネ五輪・ブラジル戦での1コマ

アテネ五輪・ブラジル戦での1コマ

 

後輩とファンに伝えたいこと

―NECはもちろんですが、バレー界の後輩たちに伝えたいことは?

1日1日は長く感じるけれど、終わってみると、バレーボールにだけ集中して、可能性に挑戦できる日々は一瞬に感じます。苦しいこと、大変なことはいっぱいあるけれど、「今しかできないことをやっている」ということがわかったら、もっと頑張れると思うんです。「明日も練習かー」と思うけれど、それも人生の中の一瞬だから、最善を尽くして、悔いのないバレー人生を送ってほしいですね。

―ファンの方に伝えたいことは?

みなさんの応援あってこそ、ここまでやってこれたので、感謝の気持ちしかありません。いい時も悪い時も、常に応援してくれて、支えてくれたことに心からありがとうと言いたいです。今後、ご縁があれば、バレー教室などの普及活動に参加して、引き続きバレーボールには何らかの形で関わっていけたらと思っています。

北京五輪

北京五輪ではチームを支えるベテランの1人として活躍した

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