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インタビュー

2013-08-18 00:10 追加

最後の、スーパーエース (前編)

V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子

1-IMG_2513――ちなみに後継者候補っている?
いやいや、清水がいるんで、清水で十分いけると思います。でもその後は今のところまだいないんで、あいつにとって良きライバルが出てくることによって、あいつももっと責任感が生まれてくると思いますし、自分自身が成長できる。出てこないと日本男子バレーも終わってしまうでしょう? あいつにとってのライバルが生まれることを僕もすごく望んでいます。

――辰哉さんがそういうことを言われて、ご自身燃え尽きたというのもあったのですか?
その後に取材させていただいた時に、「あなたはまだ全日本に必要な人だから絶対に戻ってきてくださいね」って言ったときに「140%ない」っておっしゃってたじゃないですか。

うん。

――いや、戻ってきてくださって良かったんですけど。
もうね、代表はいいかなと。その時(北京五輪)が勝負だと思ってやっていたので、それがあの結果になってしまったので、代表はもうやめようと。でも、現役をやめようとは思っていなかったんで。

――それがアテネの時との違い?
そうですね。2000年からずっと代表に行かせてもらっていて、パナソニックに何も貢献できていなかったので。いつも全日本にずっと行っていて、リーグ前にチームに戻ってきて、試合して、また全日本に行ってっていう繰り返しで10年近くやっていたんで。一年中チームに残って、チームにできることはあるんじゃないかなと言う思いはあった。年齢的にも30を越えて何年先までできるかもわからない状況で、1年1年を節目にしてチームに貢献していこうというのはありました。

ロンドンへの切符をかけた戦いに向けて、みたび全日本へと復帰した

ロンドンへの切符をかけた戦いに向けて、みたび全日本へと復帰した

――そのチームに戻って、ということから、また一転して最後に全日本に力を貸そうとなったのは。
そうですね、それは、辰哉さんとも色々話をしたから。

――どんなお話し?
清水にも控えが必要だし、支えて欲しいっていう。後はいつ戻るかの話しもあったんですけど。呼んでいただけるんだったらそれなりのことはやりますって。

――それまでにはわだかまりも解けていたんですか?
まあね、あれは一時の感情であって、お互い子供じゃないんで根に持つこともないんで。いち大人としての、ああいうときもあったけど、今は違うよみたいな話をしながら。

――乗り越えた?
乗り越えたと言うより、その辺で、なんて言うんですかね、お互いの意見を言い合えたというか。

――胸の内を明かせたという感じ?
胸の内というか……お互いにあの頃は悪かったと。「申し訳ありませんでした」っていう感じだったので。

――3回目のOQTも残念な結果になってしまったのですが、どんなところが課題だったと思います? ご自身のことだけじゃなくて。
今回は、可能性は50%はあったと思うんですけど、その中でチーム力が他のチームの方が上回っていたと思います。チームとして経験者が多かったので、負けても崩れることもなかったと思います。
その中で一番最年長としてチームを支えなくてはならない立場で、チームをオリンピックに連れて行けなかったということはものすごく責任を感じています。みんな本当に頑張っていたんですけど、何かもう少し足りなかったのかなという感じがします。

VBKW130505_16432――チームに戻ってできることがないかという話で、永野君や大竹君とかをすごく可愛がっていらしたじゃないですか。ああいう姿はなかなか新鮮だなと思って見ていました。
やっぱり30過ぎたら年々ベテランの域に入っていきますし、若手もどんどん入ってきますから、若手の面倒はベテランが見ないといけない。また、プレイで見せなければいけないというところもあります。その中で永野にしても大竹にしても、自分が苦しい時には僕に心の内を明かしてくれたという意味で、少しは支えになれたかなと。支えてあげたいなという思いもありましたし。その頃はバリバリにコートの上にいたわけではないので、コートの外から見て、いろいろと支えることができたかな。

――田中幹保さん、植田辰哉さんという二人の代表監督の下でプレイした隆弘君にとって、ゲーリー監督はどう見える?
何回か合宿とか試合とか見てますけど、今までにないような発想を持ってやってるので、やってる選手達はすごく新鮮だと思いますよ。

――戦術的なところで?
いや、戦術的なところはすごくシンプルです。練習もそうだし、教え方とかも一つ一つ細かくやっている。日本人の監督ではそこまでやってなかったことでもゲーリーさんはやっている。

――戦術はシンプルなんだ。
シンプルですね。あとは、選手とスタッフの壁をなくそうと努力しているように見えます。だから選手も意見を言いやすい。監督自らが選手の意見を聞きたがっているというのをすごく感じますね。

――日本のバレーの特徴って?
体格で負けてる分、高さもそこまであるわけではないので、全員で一つのボールを拾って、一人で決めさせるんじゃなくて、全員で決めるというのも日本のバレーの特徴だと思います。

――今後の日本バレー界に望むことを、技術的なことと、それ以外の面。
技術面? 技術はね、日本はそれなりにあると思う。それ以上のことをどうこうっていうのはないですけど、6人や7人で1点を25点入るまでしっかり取っていくという姿勢を貫いて欲しい。その中で一人になってしまったり一人にさせてしまうと勝てる試合も勝てなくなってしまう。日本が勝てるパターンというのは、苦しい状況の中で終盤ぽんぽーんと抜けて勝つというパターン。楽には勝てない。チーム全員で常に戦っていって欲しい。
技術的なところはある程度はあるから、あとは潜在能力をいかに見いだすかはスタッフ次第。

――引退を決めたきっかけと理由は。
北京の時に代表終わるっていってたなかで、1年1年勝負と思っていた。ロンドンに勝負をかけて、そこでユニフォームを脱ごうと思っていた。

――前々から決めていたの?
代表に戻ってからですね。

――その時はチームのユニフォームも脱ごうと?
チームは、そのシーズンを終わってからね。中にはロンドン終えてすぐ引退っていう人もいるけど、僕はそのシーズン黒鷲まで戦って辞めようと思っていました。
契約が5月までだったからね。

スパイクだけでなく、サーブも武器だった。引退試合となる黒鷲旗大会でもいかんなく発揮された。

スパイクだけでなく、サーブも武器だった。引退試合となる黒鷲旗大会でもいかんなく発揮された。

――黒鷲最後は残念な結果でしたけど、ご自身としては素晴らしい活躍で、やりきったという思いがあるのでは?
まあね、体で見せられるところは見せることができたと思ってる。後は受け手がどう感じるかだよね。今まで永野から下の世代とかは、負けを知らない選手が多かったので。今回は決勝に3回いけたけど、そのうち2回は負けてしまって、それがどれほどの違いであるのかを身にしみて感じてくれたかなと。
また、勝てる試合を、チャンスを逃して落としてしまったというのも今回初めてだったと思う。本当に最後の1点を取りきるまで、試合というのは何があるかわからないということを痛感してくれたんじゃないかな。それを活かして次のシーズン優勝してくれたらすごく嬉しいですね。

続く

聞き手:中西美雁
写真:Michi Ishijima,FIVB,Mikari

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