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インタビュー

2014-09-01 12:11 追加

加藤陽一 地上の星 第2部

V2/V3 男子

加藤は2009年からつくばユナイテッドサンガイアに所属した。当時のメンバーと

加藤は2009年からつくばユナイテッドサンガイアに所属した。当時のメンバーと

―最初のつくばユナイテッドの印象は?

やっぱり子供でしたね(笑)。僕が来て……中にはサインを求めてきた選手もいましたし、握手してくださいという選手もいましたから。まだまだバレーボールのレベルというのは低かったですし、それをどんどんどんどん自分がコートに入って指導したり一緒にプレイする中で少しずつバレーボールの目標とする位置だったりレベルの位置を少しずつ解ってくる事でチームが少しずつ勝てるようになって、自分達に自信がつけば自分達のこうやりたいバレーボールが出てくるんじゃないかなと思ったので。まずはそこを我慢して自分がどんな場面でも決めてチームを引っ張って行くっていうのはずっとやってきましたね。

―サンガイアについて一言で説明するとどんなチームですか? できたときから少しずつ追ってはいるんですが、解りづらいチームではあると思うんです。最初は産官学共同からスタートして今は社会人だけですよね。節目節目でいろんな変化があったとは思うのですが。

もちろん産学民は変わっていないんですけど、どちらかというと自分達がどういう風に社会に貢献していくか。今までは中に入って周りから何かしてもらうという方向ではあったんですけど、社会人を含めて若い選手達が外へ出ていくという事を意識付けしてるんですね。社会に対して自分達がどうやって貢献できるチームなのかっていう事を去年1シーズン、いろんなイベントに参加したりだとか自分達で催すバレーボールイベントだったりとかそういう“来てもらう”という事を中心とやってきて、更に来てもらうために何をするかという事を含めてつくばの地域の人達とうまく連携しながらやっていて、すごく距離が近くなったなと。今までは企業とクラブチームと市という離れた所で繋がっていましたけど、今は重なり合うようになるのが多くなったので、バレーボールの競技特性をうまく利用して子供たちの育成に力を入れている所です。

―昨シーズン首位を走っていて最後にエースの怪我で、結局最終的にはチャレンジマッチを逃してしまったというのがあったと思いますが、振り返ってみて。

正直言うと、ここまで来るとは実際みんな思ってなかったですね。出来田だったり前田だったり学生が抜けて戦力ダウンという形でみなさん思われていた中で、フルセットで勝ったりだとか、雪でいろんなアクシデントがあった中で勝って行くうちに、少しずつ選手に自信が出てきて、自分達が自ら考えて行動しないとチームが勝っていけないという事に気づいて。

エース瀧澤が怪我をおして出場した最終戦。加藤の祈りは天に届かなかった

エース瀧澤が怪我をおして出場した最終戦。加藤の祈りは天に届かなかった

1敗で最終週を迎えて、やはりちょっと後半サーブレシーブを含めたディフェンス面が落ちてきたというのは感じてましたけども、そこで決定力のある瀧澤が怪我をしてしまって、ディフェンスとオフェンスのバランスが大いに崩れた事は残念でした。ただ、今まで積み重ねてきた事が最後警視庁で、エースがいなくてもフルセットまで戦えた。負けましたけどチームとしての厚みが少し出来たんじゃないかなと思いましたし、次の日も瀧澤が何とかチームの為にという、自分を犠牲にしてチームの為にという事を考えて注射打ったり治療して何とか出場してくれたんですね。この試合もフルセットで負けましたけども、やらされるバレー選手ではなくて、自分達自らやっていく、自分がやりたいという気持ちが芽生えたシーズンだったんじゃないかなと思います。

―選手兼任で監督をやるのはどんな感じでしたか?

難しいですね。メンバーチェンジのタイミングだったり。キャプテンではなくて、コートにいる事が多かったので、タイム取る時はキャプテンがとらなきゃいけないですし、ベンチにいれば自分がタイムとらなきゃいけなかったりとか。メンバーチェンジの難しさというのも感じましたし。試合をしている分視野が狭くなってしまっているので、最終戦大分三好戦も、自分がもしコートの外にいて上手くチームをもう少し好転できていれば、4セット目逆転されずにそのまま押し切っていた部分もあったかなと。

―バレー人生を振り返って思い出に残っている試合を、1番は引退記者会見でおっしゃっていた、イタリアに渡る前の黒鷲旗ですよね。それを含めて3つ挙げていただけますか?

2番目はセリエAで優勝した試合。3番目はやはり、最後の黒鷲にまた戻るんでしょうね、その中でも特にパナソニック戦ですかね。パナソニックはナショナルチームのメンバーも何人もいますし、ユニバで一緒に練習してきた仲間もいて、最後の舞台であれだけのチーム、プレミア優勝したチームとネットを挟んで対戦できたことはすごくいい思い出になりました。

―ユニバで一緒にというのは誰ですか?

深津(英臣)と渡辺(奏吾)。

―あ! 教える立場でですね。なるほど。

川村(慎二)も自分がユニバの時に一緒でしたし、そういう同じバレーボールをやってきた人達と最後にできた。それがとても嬉しかった。(最後の黒鷲旗の他の2戦の対戦相手である)ジェイテクトもチャレンジリーグで凌ぎを削った仲間ですし、日体大も若い選手・ 山田脩造などがいますし、カテゴリーとしてはすごくバリエーションがあって、そこで自分が最後までコートに立ち続けられた。だから3番目は最後の黒鷲旗大会だなと思います。黒鷲旗大会には、チャレンジチームは3チームしか出られない。僕のバレー人生最後に、あの舞台に連れてきてくれたチームメイトには本当に感謝しています。

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