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2025-10-20 11:00 追加

「日本でプレーすることが私の夢」 ー イタリア代表主将アンナ・ダネージが運ぶ、“夢のパッケージ”

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昨年のパリ五輪でも優勝したイタリアだが、その前年2023年はチームの不和が影響し、オリンピック予選で敗れるなど苦しい時間が続いた。イタリア女子の悲願だったオリンピックのメダルは、遠い“夢物語”のようにも思われた。
しかし2024年、バレー界の至宝とも言われるフリオ・ベラスコ氏が監督に就任。ダネージはキャプテンに指名された。

「ベラスコ監督からキャプテン就任の打診があったとき、“彼は酔っ払っているのかしら”と思いました(笑)。でも、それまでと役割が大きく変わったわけではありません。キャプテンという役割は大きな責任を伴いますが、喜んで引き受けました。ベラスコ監督は私を信頼してくれましたし、私ひとりに責任を押し付けることなく、一緒にチームを作ってくれています」

アンナ・ダネージとフリオ・ベラスコ監督
2024年8月、バレーボール界のレジェンド、フリオ・ベラスコ監督のもと、パリ五輪制覇を成し遂げた(Corrieredellosport.itより引用)

今回の世界選手権で特筆すべきは、ダネージの呼びかけで行われた“選手だけのミーティング”だった。監督もコーチもアナリストも、誰ひとりとして同席しない、選手だけのミーティングである。宿泊中のホテルで、14人の選手が、夜な夜なダネージの部屋に集まったという。

「選手だけのミーティングはパリ五輪のときから続けています。翌日の試合に向けて団結するために、ホテルの部屋に全員が集まることにしているんです。準決勝のブラジル戦後も、深夜でしたがいつも通りに。みんなで集まりたい気持ちがあったのと、ゲン担ぎ的な意味もあって(笑)」

アウトサイドヒッターのステッラ・ネルヴィーニは「翌日の試合が楽しみでワクワクしている選手もいれば、緊張してしまう選手もいます。全員が同じ方向を向くという意図で、選手だけのミーティングを設けてくれています」と話す。
キャプテンであるダネージの意図は、最年少のネルヴィーニにも正確に伝わっていたようだ。実際に、ネルヴィーニは今大会ほとんどの試合でスタメン出場を果たし、特に守備面では堂々たるプレーでチームを支えた。

キャプテン就任以降、数々のタイトルを獲得してきたダネージだが、キャリアが常に順風満帆だったわけではない。そもそも彼女のシニア代表デビューは、イタリア女子バレーの歴史が途絶えるのではないかという過酷な大会だった。
2016年1月のリオ五輪ヨーロッパ大陸予選。敗れればオリンピック出場が消滅するという極限の状況の中、イタリアはギリギリで勝ち残り、日本で開催された最終予選に出場することとなった。当時、ダネージは19歳だった。

「当時の私にはすべてが大きすぎて、何も分からなかったです。ただ目の前の試合で100%を出すことだけを考えていました。でも、同年のリオ五輪ではアントネッラ・デルコーレやエレオノーラ・ロビアンコ、ナディア・チェントーニといった選手と一緒にプレーすることができました。8歳でアテネ五輪を見てから12年間、ずっとオリンピックを夢見てきましたが、そんなレジェンドたちと同じコートに立つことができるなんて、想像もしていませんでした。イタリアバレーの歴史を作ってきた、そして今も歴史を作り続けている選手たちと一緒にプレーできたことは、本当に幸運でした」

2016年のリオ五輪欧州大陸予選でシニア代表デビューしたダネージ
シニア代表デビューを飾った2016年1月のリオ五輪欧州大陸予選にて、パオラ・エゴヌ(Paola Egonu)と(OA Sportより引用)

2年後の2018年には代表の中心選手となり、世界選手権で銀メダルを獲得。日本でもブロックの名手と呼ばれるようになったダネージ。しかし、2019年の代表ではスタメンを外れることが多く、出場機会も限られた。ダネージは当時を振り返る。

「私にとっては本当に苦しいシーズンでした。でもその経験から“すべてが順調にはいかない”ということを学びました。むしろ、困難な状況や時期からのほうが多くを学べます。忍耐と地道な努力で乗り越えました」

「学び」という言葉は、ダネージという人を象徴している。春夏は代表シーズン、秋冬はクラブシーズンと多忙な日々を送りながらも学業に向き合い続けるダネージは、今年7月に3つ目の学位を取得した。もちろん、小学校の先生になるという目標のためである。

「栄養学、スポーツ科学、心理学の学位を取得しました。これで体育を教えるために必要な学位が揃いました。栄養はアスリートにとってとても重要なので、大学でより深く学べたことは大きかったです。小学校で子どもたちに教えるほうが、代表メンバーをまとめるより楽しいかもしれません(笑)」

学位記を見せるダネージ
2025年7月、代表シーズンの最中に3つ目の学位を取得したダネージ(本人のInstagramより)

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