2017-09-02 15:56 追加
迫田さおりさん 引退に寄せて(前編)「思い出すのは、東レ入団当初のダメだった時の自分」
迫田さおりさんインタビュー(前編)
SV女子 / 全日本代表 女子
ロンドン五輪の銅メダリストでリオ五輪にも出場した女子バレーボール元日本代表の迫田さおりさん。5月30日、東レアローズを退団することを発表し現役を引退した。しなやかなフォームから放たれる切れのある美しい「バックアタック」は、日本のみならず世界のバレーファンも魅了した。
故郷の鹿児島に戻られた迫田さんを訪ね、今だから話せる引退のこと、東レアローズや全日本での葛藤、木村沙織さんらチームメイトやファンへの思いなどをうかがった。前後編でお送りする。
──リオ(迫田)さん、長い間お疲れ様でした。
ありがとうございました。
──引退されて少し経ち、気持ちなどに変化はありますか。
そんなに大きくは変わらないですが、大会があると気持ちをしっかり作って挑まないといけなかったので、そういう部分がなくなって少し楽に過ごしています。
──生活のリズムはどうですか。
現役のときは、朝起きて体育館に行って練習して……という感じでずっとバレー漬けだったので、今の環境はだいぶ違いますね。
──少し遅くまで寝られたり?
いやー起きちゃいますね(笑)現役中は午前中ずっと寝てることもありましたけど、今は逆にあまり寝なくなりました。
──新しくやられたことはありますか。
あ、ずっとやりたかったこと、車の免許を取りました。一発合格! でも「やったー!」って喜ぼうと思ったらチームメイトがいない、あ、一人だ……と。それはちょっと寂しかったです(笑)
──今はどんな活動を?
今の活動は基本バレー教室です。依頼をいただいたら参加させてもらっています。この前、サリさん(高田ありささん)と一緒にやらせてもらいました。個人だったり、(東レ)アローズのメンバーと一緒にやったりしています。
──迫田さんは東レのホームページ上で引退を発表されました。そういう形を選ばれたのは?
特に考えはなく、こういう発表をしたいというこだわりもなくて、「5月30日にみんなに伝えるよ」と言われて「はい」という感じでした。
──木村(沙織)さんのような引退会見もされずに。
そんなそんな……サオリさんとは全然違うので。引退の時期は近かったですが、やっぱり木村沙織さんはバレー界にとって絶対的な存在で、もっともっと盛大に引退会見をしてもよかったんじゃないかなと思うくらいなので。私はそんな立場ではないので。
──いやいや迫田さんも素晴らしい存在ですよ。
いや……。ありがとうございます。
──けっこう前から「辞めること」を考えてやられていたと。
そうですね。今年初めて引退を考えたわけではなく、いつ辞めてもいいと思いながら、毎年毎年悔いのないようにバレーボールをしていこうと。そういう状態でやらせてもらっていました。
──「引退」がよぎり始めたのはいつぐらいからですか。
強く思い始めたのはロンドン(五輪)が終わってからですね。ロンドンが終わってすぐに肩を壊してしまって、あーもうだめだ、もう終わるときかな……って思って。それからはこの1年この1年って思ってやっていました。
──肩のけがはそれくらい大きいことだったんですね。
そうですね。周りからしたらそんなに大きくないと思いますが、私はあまりけがをしたことがなく、バレーボールができなくなるということがそれまでなかったので、ボールに触れない時期が続いて、“あーもう私バレーボールできないんじゃないか”と思ってしまったんです。でも東レに支えていただいて、トレーナーの渋谷理恵さんもほんとにいろいろ考えてくれて、ここまで打てるように自分の体を治してもらいました。本当に感謝しています。
──けがをきっかけに肩を痛めないフォームに変えられたと。
そうです。自分の打ち方が原因で(肩を)痛めてしまったので、まずはフォームを変えないといけないねと。「こうなってるからこういうふうな痛め方をしたんだよ」と教えていただいて、これを改善しないとまた痛めてしまうということで。肩を痛めたからこそ新しい自分にもなったので、けがをしてつらいとかではなく、それがきっかけで逆に楽しくなったんです。
──楽しくなったんですね! 同時に打てない時間にディグやサーブを頑張って、結果、選手としての幅が広がったように思いました。
そうです。意識も変わりました。レシーブは下手くそだったんですけど嫌いじゃなく、ずっと、“もうちょっとディグができたら面白いんだろうな”って思いながらやってたので。肩を壊したことで打てない分レシーブだとか違うところをやらせてもらえる時期をいただいたので、へんな言い方ですが、ほんとにいいタイミングで肩が壊れたなと。
──打つ方でも面白くなりましたか。
なりましたね! 自分がこういうふうに打ちたいってスパイクのフォームを具体的にイメージするようになりました。それまでの私は打つポイントが限られていたので、サオリさんみたいにいろんな所で、幅を広げて打ちたいとき思って、こういう打ち方をしたいですというイメージをトレーナーさんに伝えたら、それに近いトレーニングを作ってくれて、トレーニングでイメージしてボール練習で発揮できるように、トレーニングとバレーボールをつなげられるようにしてくれました。でも簡単にはできなくて、すごくもどかしい自分もいたんですが、できたときの喜びがハンパなく嬉しくて。2、3日じゃできなくてずっと積み上げてきてやっとできたときにはコーチやトレーナーさんも一緒に喜んでくれて、私はそれもすごく嬉しかったんです。
トレーニングも厳しくてキツイ愛情たっぷりのものだったので、ほんとに「嫌だ」「やりたくないです」という思いを態度にも出してしまったりしていたんですが、それでも渋さん(渋谷理恵さん)はそういう自分も受け止めてくれて、ずっーと一緒に戦ってくれました。ほんとに感謝しています。
私が喜ぶ前に渋さんが喜んでくれているみたいな。それが「頑張れる一つ」でもありました。ここでポイントを決めたら渋さん喜んでくれるだろうとか。試合後に治療してもらうときに、「あのときのあのスパイクよかったよね」っていうのが一致するんですよ。「決まらなかったけど、あのフォームできてたよね」って。それが嬉しかったし、じゃあ次こういうふうにしていこうかって、そうなるのがまた楽しくて。トレーニングはきついし、本気でぶつかりあって、ときには「もう!」「フンッ!」みたいな感じになりながらも、渋さんは全力でいろいろやってくださったので感謝しています。
──打つポイントが増えると余裕が出て強打だけでなくいろんな攻撃ができたり。
自分でも、“あれ、こんなことできたっけ?”いうのがあって(笑)エリカ(荒木絵里香)さんや上の先輩も「え? 今のってさ、4年に一度のスパイクだよね」「そうそう!」って感じで、わかってくれる人はわかってくれて。そういう笑い話もふまえつつ、できなかったことができてくるというのがすごく嬉しかったですね。下手くそだからできなかったことが多かったので、少しずつできるようになってこれたのかなと。
──あれ、今のサオリ(木村)さんぽいって感じたスパイクもありましたよ。
ありましたか! やったー! サオリさんとは全日本、東レでも一緒にプレーさせてもらって、見る機会が多かったのでほんとに感謝しています。お手本がいつもいたので。サオリさんのスパイクはやっぱりすごいです。渋さんと話しているときも、「天才天才って周りは言うけど、それなりに努力はしてるし、だからこそすごいんだよね」と。体の使い方とか考え方、天性だけじゃなくて考えて打ったり、技術ももちろんですが、それをできるというのが。サオリさんみたいになりたいって思っても絶対に手の届かない存在。絶対追いつけない存在。憧れ、ファンです。そういう人と(リーグや全日本でも)最後まで一緒にやれて感謝しています。
──ここまで続けてこられた一番の理由は?
頑張れたのはやっぱり家族が一番ですね。辞めるとなって一番ひっかかるのが家族で……やっぱりリーグなど1年を通してここが楽しみっていうふうに応援してくれていたので、そういう楽しみが自分が辞めることによってなくなってしまうんじゃないかとか。
自分は辞めたいけど、自分がバレーをしていることによって両親の兄弟がつながったり連絡を取り合ったり、「頑張ってるね」ってお母さんに連絡が入ったり。そういうことが辞めたらなくなってしまうのかなって考えたら自分の考えだけでは辞められないんじゃないかって。
兄弟もリーグ中にはDAZN(ダゾーン)で試合を、ちっちゃいスマホの画面なのにみんなで一緒に見てくれたり、「アローズ(東レ)の応援、覚えたんだよ」とか……それも一つの楽しみだったり話題の一つなので、「絶対辞めるから」って自分の気持ちだけを投げつけることはできないかなと思って。
毎年、「辞めたい」とは言ってたんですけどね。母は本音はわからないですが「辞めたいなら辞めてもいいんだよ」と。父は死ぬまで続けてほしいという気持ちがあったと思います。家族はできるならできるだけ続けてほしいと思ってくれていたんじゃないかなと。
──「引退」を決めた時、ご家族はどういう言葉をかけてくれましたか。
「いいよ、もういいよ、帰っておいで」「それで今後はどうするの?」みたいな感じでした。だけどやっぱり、「さおりがやってないからね、もうバレーの応援はね」みたいになってしまっていて、ああ、それだけ応援してくれていて一つ一つの大会を楽しみにしてくれてたんだなって思うと、ほんとに辞めてよかったのかなって思いますが、でももうできないっていうのもあるので……。
──今は一緒に過ごされているんですよね?
はい。両親のそばにいたかったので、引退したら鹿児島にって思っていたので、すぐに帰ってきました。
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