2017-07-19 17:35 追加
越川優 さようならの代わりに。
SV男子
私が彼を最初に認識したのは、高校生でシニア全日本代表に選抜されたことがニュースになったときだ。高校カテゴリはほとんど見ないので、そんなすごい選手がいるのかと驚き、長野だったかどこかで行われた親善試合に彼が出ると聞いて出かけた。彼を抜擢するのに、田中幹保全日本監督(当時)に助言した大古誠司元全日本監督に出くわし、「こんなところまでご苦労さん。今日は何を見に来たんだ?」と問われ、「コシガワユウをチェックしに…」と答えると、大古は「コシカワな! 濁点は要らんぞ!」と。まあその程度の知識しかなかった。
彼には3つ上の姉がいて、両親がともにバレーをしていたこともあり、小さな頃からバレーボールは身近な存在だった。家には常にバレーボールが転がっており、姉と二人でキャッチボールやパスをしていた。いつがきっかけといえないほど自然に、バレーボールを始めていた。姉が中学でバレー部に入部し、強いチームに入るために転校して変わっていくのを見て、自分も同じようにしようと決めていた。中学校時代は全国大会の予選が最高成績。越川は、高校ではもっとレベルの高いところに行きたいという気持ちを持つようになった。高校は、当時春高を3連覇していた長野県の名門岡谷工業。壬生監督(現創造学園監督)から話しをもらい、越境入学となった。1年の時に春高、インターハイ、国体の3冠を達成。
3年生になって、男子としては初めて、高校生でシニア全日本代表に選ばれた。コシガワユウならぬ越川優を全日本で初めて見たときに、「すごい選手だな!」と思ったかと言えば、正直よく分からなかった。目と口が大きくて…もとい、印象的で、だが、この選手のどこが、大古の琴線に触れたのだろうと。本人も「とても嬉しいです。でも、僕がなぜという思いもあります」と言っていた。世代別代表でも、レギュラーで出場しているわけではなかったからだ。
ここで越川は大きな決断を下す。大学進学が決まっていたのを断り、高卒でサントリーに入団することにしたのだ。「同じ世代に富松(崇彰)や三上(圭治郞)がいて、同じことをやっていても、彼らの上をいけるとは思えなかった。だから4年早く上のレベルでプレーするために、サントリーに入ることにしたんです」。
このとき進学が決まっていたのが中央大学で、当時の監督はバルセロナ五輪代表の栗生澤淳一。越川が進学を断ったことを、烈火のごとく怒っていたのを、今でもよく覚えている。しかし彼とは10余年後、別の形で邂逅する。JTサンダーズのGMとなった栗生澤が、Vリーグで最も歴史が古いのにもかかわらず、なぜか1度も優勝できないというジンクスを抱える自チームへ、「優勝請負人」として越川を招聘したのだ。恩讐を越えて。
時計の針を戻そう。2002年アジア大会に越川は参加した。同時期に開催された世界選手権の方を取材していたので、私はこの大会の詳細は知らない。ここまで書いて「あっ」と思った。越川のインドアの全日本のキャリアの最後は、2014年の仁川アジア大会だった。アジア大会で始まり…アジア大会で終わったのか。仁川での銀メダル。主将として石川祐希や、柳田将洋と一緒にプレーした。彼にとって、アジア大会は縁の深い大会なのかもしれない。
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コメント
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山田太郎 [Website] 2012.04.20 13:00
越川選手のことはよく知らなかったけど、バレーの嫌なしがらみに翻弄されて素晴らしい選手の貴重な時間が過ぎてしまったのかと思うと切なくなりました…