2017-08-02 21:10 追加
越境バレーボーラー 福田有里「”自分にもできるかも”って、海外に挑戦する選手が増えたら」
フィリピンでプレーした福田有里選手に「海外でプレーすること」をテーマにお話をうかがった。 福田選手は昨年10月、フィリピンの首都マニラで開催された世界クラブ選手権にフィリピン・スーパーリーグ・オールスターズのリベロとして
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フィリピンでプレーした福田有里選手に「海外でプレーすること」をテーマにお話をうかがった。
福田選手は昨年10月、フィリピンの首都マニラで開催された世界クラブ選手権にフィリピン・スーパーリーグ・オールスターズのリベロとして出場。今年9月から再びフィリピンに渡り、1部リーグのPETRONでプレーする。
福田 有里(ふくだ ゆり)
1987年6月26日生まれ 154cm リベロ
延岡学園高→鹿屋体育大→大野石油広島オイラーズ→フィリピン・スーパーリーグ・オールスターズ→PETRON(フィリピン1部リーグ)
——昨年に続き今年もフィリピンでプレーされるということですが、昨年の世界クラブの経験はどうでしたか?
緊張したのは1日目だけで、あとは興奮しっぱなし。試合中もずっと鳥肌が立っていました。初戦の相手がブラジルのレクソーナだったんですが、第1セットは何をしてるのかさえわからない感じで、第2セットあたりからやっと動けるようになりました(笑)。 相手のリベロのファビ(ファビアナ・オリベイラ)は小さい頃からずっと見てきた選手ですし、同じリベロということもあって憧れの選手でした。だから対戦できたのが本当に嬉しくて。試合後に「あなたのファンだ」と伝えたら、大会後にユニフォームを交換してくれたんです。
——ファビは2014年に代表を引退しましたが、クラブでは第一線で活躍していますよね。
あれだけ長くプレーできるのは本当にすごいです。私も真似してみようかなと思ったけど、どうかな…(笑)。
——リベロとして出場されましたが、海外の選手の強打はどうでしたか?
回転がしっかりかかってれば取りやすいんですが、押し当てるように打ってきて無回転になったり、向かってくるような感じになったりするボールが本当に取りにくいです。チームのコーチからも「強打は捨てていい。その代わりフェイントや軟打は落とさないように」と言われてました。そうは言っても、もちろん強打だって上げには行きますけどね(笑)。
——海外でプレーしてみたいと思ったきっかけを教えてください。
鹿屋体育大学で4年に1回カナダに行くことになっていて、向こうの大学生と試合をしたんです。そのとき海外の雰囲気、スピード、重さ、文化の違いを一気に感じられたことで好奇心が生まれたのが最初でした。大学を出たら海外でプレーしてみたい、ということを顧問の濱田先生に相談したんですが、当時は日本一にもなっていないし実績もなく、まず難しいだろうと。それより日本で下積みをして、オファーを待つのがいいと言われました。それから縁があって大野石油に入団して、7年間お世話になったという形です。
——大野石油を退社して海外でプレーをするということになり、経済的な安定といった部分で不安はなかったですか?
海外でプレーをすることが一番自分のためになる、そうしたいと思っていたので、経済的なことはあまり考えていませんでした。「海外でプレーをする」ということは自分の中では揺るがないですね。
——大野石油を退団されたときの福田選手のコメントが印象に残っています。
国体予選で高校生に負けたあと、仕事をしているガソリンスタンドにファンの方が来られて「高校生に負けるなんて恥ずかしいと思わないのか」って、炎天下で30分くらい叱られました。正直恥ずかしかったです(笑)。でもそのファンの方は、それからもずっと応援に来てくれる。こんな風に本気で叱ってくれるようなファンがいるのは本当にありがたいことだなと思います。
——PSLマニラとの契約は世界クラブのみだったのでしょうか?
そうです。契約はチームが世界クラブに向けての合宿を始める3日前に、急遽決まりました。佐野さん(元全日本リベロの佐野優子さん)が現役時代に海外でプレーした実績を生かして、エージェントとしてついてくれています。こういう話がきているというのも佐野さんから聞いていたんですが、先方となかなかコンタクトが取れなくて。ただ契約が決まったあとは、フィリピン行きの航空券もその日に取って、ビザも向こうで取得しました。
——ギリギリ滑り込んだ形。
はい。結果的には本当に良かったと思っています。世界クラブって出たいと思って出られる大会ではないと思うので。たまたまリベロの枠が空いていたこともあって、タイミングも良かった。「もっとたくさんの選手に海外に行ってほしい」ということは、佐野さんもずっと口にしています。
——佐野優子さんがついていてくれるのは心強いですね。
はい。本当に心強いです。佐野さんって、絶対に人を否定しないんですね。「いいじゃん!やってみたらいいじゃん!」って後押ししてくれる。頼れるお姉さんみたいな存在です。
——実際に海外経験をした人の話を聞くのは大きかったですか?
本当に大きかったです。27、28と歳を重ねて、引退するか諦めずに海外挑戦してみるかと考えていたときに佐野さんと繋がった。立て続けに越川さん(元JT、ビーチバレーに転向した越川優選手)とも出会って、動けるようになったんです。移籍の話ってリーグ中は絶対にできないので。越川さんがイタリアでプレーしたときの話を聞いたんですが、実際に海外のバレーを経験をした人の話にはとても触発されました。
広島の北京(ぺきん)という中華料理屋さんで、広島東洋カープの選手やサッカー選手と出会って情報交換をする機会があったんですが、他競技の選手の話を聞くのも新鮮でした。少しは引退も考えたんですけど、親や友達など応援してくれる人がたくさんいるし、手回しをしてくれた佐野さんや越川さんのためにも海外挑戦しよう、と決心できました。
——人との出会い・繋がりに後押しされたんですね。
はい。最初に広島へ行ったときは、人見知りで人と会話するのも少し嫌だったんです。でも大野石油の給油所で仕事をしながらバレーをして、もちろん仕事ということもありますけど、自分からどんどん動かなきゃ!って思うようになりました。
——ミカサやモルテンといった会社があり、男子JTの本拠地でもあるということで、広島はバレーの聖地のようなイメージがあります。6年間過ごされて、やはり愛着がありますか?
愛着はすごくあります。何かあったら広島に行って、お世話になった人に挨拶したりだとか。
——最初にフィリピンに入国したとき、率直にどう感じましたか?
正直怖かったです。治安のこともあるし、事前に情報収集とかするじゃないですか。空港に着いてエージェントに会うまで、怖いというのが一番でした。コンドミニアムから練習場までは徒歩5分くらいだったので歩いてたんですが、普段はあまり出歩かないように、とは言われていました。
——現地での食事、身体のケアなどはどのようにしていたのでしょうか?
コンドミニアムに何人かで生活していたんですが、朝昼はチームメイトみんなと食堂で摂って、夜は全部自分たちでまかなっていました。
身体のケアに関しては、怪我をしないようにお金をかけてでもトレーニングをしっかりするべきだと思います。現地でというより、行く前にある程度自分で身体を作っていかないと、海外では治療できないと思ったほうがいい。鍼治療は「どこから鍼持ってきたの?」と思うようなものだったり、ドーピングが関わってくるから湿布も使えなかったり。薬にしてもちょっと怖い。準備をしっかりして健康で行くことがベストだと思います。
——そういえば世界クラブの会場内にファストフード店しかなくて、まともに食事を取れなかったのを思い出します。
私たち選手は行けなかったけど、会場内にはスタバとかもあったんですよ(笑)。
——ファンが群がって収拾がつかなくなるからですか?
チーム(フィリピン・スーパーリーグ・オールスターズ)の選手の多くがモデルやタレントを兼任していて、国内ではスター的な扱いなんです。ポカリスエットやマツダのイメージキャラクターをやっている選手もいて、バレーを見ない一般人にも大人気。ちょっとでも外に出たら人が群がって帰れなくなる。
——日本ではあまり考えられないですね。そういうのがあってもいいのかもしれない。
フィリピンでの契約は世界クラブ選手権のみだったので、国内リーグには出ていないんですが、試合を観に行かせてもらったんです。フィリピンではいつも試合前に選手とファンの触れ合いイベントがあって、同時にバレー教室もやっている。選手もファンも、最初から最後まで楽しんでいました。
——世界クラブでは会場の熱気がすごかったです。フィリピンの方のバレー愛に驚きました。
はい。フィリピンの方の給料って月に2〜3万円なんですよね。去年の世界クラブのチケット代は1日あたり1万円もするのに、あれだけの人が会場を埋めてくれて。本当に驚きましたし、嬉しかったです。
——フィリピンでプレーしてみて、考え方は変わりましたか?
考え方は変わりました。チームは基本的に試合に勝っても負けても雰囲気は同じ。海外の選手って結構そういうところがあると思うんですが、あまり振り返らない。 試合前に緊張もしないみたいで、「何で緊張するの?楽しめばいいじゃん!」っていう感じ。
——だから海外の選手は息が長いのかもしれないですね。
海外の選手は、とにかく楽しむことが一番。試合前に集中するためのルーティンも無いし、ただ音楽をガンガンかけている。メイクは念入りにするし、踊り始めるし。世界クラブのとき私はメイクしてなかったので、まるで子ども。浮いてましたね(笑)。
フィリピンのチームメイト、ファンが一体となってバレーボールを楽しんでいた
——日本バレーにあればいいなと思うことはありますか?
選手の所属先が決まってない間って、どこかに就職しているわけではないじゃないですか。その間バイトをすればいいかもしれないですが、それがバレーボールに関わることであればいいなと思いますね。毎週のようにバレーボール教室を開いたりとか。そういう環境があれば、仕事もできるしバレーにも関わっていられる。選手にとってもプラスになることが多いんじゃないかと思います。何も契約が決まっていない状態だとモチベーションを保つのが大変なんじゃないかと思うんですね。途中で辞めてしまうケースもあるし。私も声がかかれば、全国各地どこへでも駆けつけたいです。
——今後、ここでプレーしてみたい!という国はありますか?
ヨーロッパ。特にドイツかな。ドイツで活躍してる日本のサッカー選手って多いじゃないですか。難しいとは思いますが、私もそこでバレーをしてみたくて。
——サッカーを観るんですか?
内田篤人選手や長友佑都選手、岡崎慎司選手の試合を見ています。ルールはあまり詳しくないんですが、バレーボールのリベロに必要な動きは無いかな?と着目して見ていることが多いです。
——今後、目指すところを教えてください。
ヨーロッパでプレーすることが夢ですが、バレーを楽しめている間はゴールはないですね。まだまだ現役を続けますし。満足したら終わりだと思うので、向上心をもってやりたいです。日本でやりきったとかではないんですが、海外でプレーするほうが自分のためになると思うのが一番の理由です。
佐野さんにも「ヨーロッパの上位チームは本当にレベルが高いけど、いつリベロの枠が空くか全くわからない。怪我などで枠が空くこともあるし、何より評価してもらえればプレーできる可能性はある」ということを言われています。チャンスが続いて、契約が2年、3年…と延びていくこともあるし、与えられたチャンスを生かすことが大事、と。
ちょっとしたきっかけでもいいから、もっと頑張りたい、海外でプレーしたいと思う選手が増えてくるといいですね。こういう人がいるんだ、って知ってもらえるだけでも大きいと思うんです。自分でも海外挑戦できるかもって思えたら、また違ってくるはずなので。プレミアリーグに入れなかった選手にだって、海外に行けるチャンスはある。そんな風に海外挑戦する選手が増えたらいいなと思います。
昨年の世界クラブ選手権では明るさを全面に出したプレーでMove of the game award(敢闘賞のような賞)を受賞し、フィリピンの観客を沸かせた福田選手。現在は新しいシーズンに向けトレーニングを行いつつ、母校の延岡学園で指導も行っているという。「良い体作りができているのは専属トレーナーの藤田剛央さんのおかげ」という言葉からも、周囲の人に感謝しながらバレーボールを楽しんでいるということが伺える。
また福田選手は「たとえ下部リーグでも、海外でプレーすることこそ自身の成長に繋がる」と強調した。プレーだけでなく、国内では経験できない考え方や生き方を吸収するチャンスが、海外には溢れている。福田選手のように多くの選手が海外へ渡り多様な価値観に触れることで、日本バレー界にも好影響がもたらされるはずだ。
聞き手 高住翔
写真 FIVB
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