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バレーボールマガジン>インタビュー>パナソニック 今村貴彦・久原翼・兒玉康成(前編)ユニバーシアードを振り返って 久原「いいプレーはどちらにも歓声が上がり、やりがいがあった」

インタビュー

2018-01-10 12:00 追加

パナソニック 今村貴彦・久原翼・兒玉康成(前編)ユニバーシアードを振り返って 久原「いいプレーはどちらにも歓声が上がり、やりがいがあった」

SV男子 / 全日本代表 男子

—―試合以外で思い出に残っていることはありますか?

兒玉:観光はしてないですね、時間がなかったです。一番の思い出は閉会式に出席できたこと。前大会も出させて頂いてるのですが、タイミングが合わなくて、開会式も閉会式も出れなかったんです。今回は、開会式は次の日が試合だったので出られなかったですけど、閉会式に出られたので、「こういう場なんだ」というのを体感した時に、また違った世界が見えたというか、改めて五輪に出たいと思った、すごいプラスになる思い出でした。ですから、すごくそれは印象に残っています。

久原:試合以外は、特に観光とかしていないです。選手村がすごいなと思いました。外国人ばっかり。だからスポーツは世界の人々をつなげるんだなと感じました。言葉はいらないと思いました。

今村:福澤(達哉)さんの元チームメイト(福澤選手は1シーズン、ブラジルリーグにレンタル移籍していた)がブラジルチームにいるという話で、そのブラジルの選手と喋って、久しぶりだねと。福澤さんからも、ユニバにうちのチームから3人行くるからよろしくと伝えてくれていたみたいです。試合前とか試合後とか国際交流ができたのが大きかったです。いいチームだねとか言われて嬉しかったです。

—―3人のそれぞれの、これまでのアンダーカテゴリの経験を教えて下さい。
兒玉:僕は高校3年生の時からアジアジュニア、世界ジュニア、U23とユニバ前回大会。でも、スタメンで出始めたのがこのユニバが初めてだったので、このユニバというのは自分にとってプラスになるアンダーカテゴリでした。自分の考えた方・見方を変えられたのは、大きな収穫だったかなと思います。

久原:高校2年生の時からユースに選んでいただきました。早生まれだったので、下の子たちと一緒に試合に出ることが多くて、(今村選手・兒玉選手の)ふたりは自分より一個上の世代でユース、ジュニアでやっていて、あまり一緒のチームにいなかったんです。自分自身は、アンダーカテゴリの代表で、いろんなところに行かせてもらって、そこで結果が出なくて悔しい思いばかりしていたので、今回最高の結果ではなかったですけど、ちょっと結果が出てよかったです。

今村:中3の時から中学選抜、ジュニア選抜に入ってユースとジュニア、U23、ユニバときています。

――久原選手は、ユニバーシアードの前に行われた東アジア選手権のときも、いつも途中から入って活躍していましたが、台湾戦でもそうでしたね。途中から入って活躍する秘訣は?

久原:え? 秘訣? わかんないです。いままで途中から入ってというのはなかったです。

兒玉:いや、東アジアのとき、確かにいつも途中から入って流れを変えてくれたよ。

久原:そうだっけ。

今村:ユニバでも最初は高野だった。ブラジル戦で途中から入って、台湾戦でも途中から入って、それから勝った。

久原:とりあえず、役割を果たそうと思っていました。秘訣は…わかりません(笑)

――今村選手は、台湾戦、銅メダルマッチのウクライナ戦で非常に活躍していましたね。大会後のコメントでも「勝負どころで点を取ることができた」と振り返っていました。

今村:オポジットをやってるんですけど、離れたところからトスが上がってくる時に、ヤス(兒玉)がユニバの時に限ってすごいトスが悪くて……。

久原:そういうのいらないから(笑)つっこませるみたいな。

今村:じゃあ、真面目に(笑)。セッターじゃない選手から上がってくるトスが、すごく思いがこもっていました。特に台湾戦の1セット目とられて、2セット目も20点くらいまではリードされていて。そんな状況で、最後に連続して自分にトスを上げてくれました。みんなの思いを込めて打ち切りました。

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