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バレーボールマガジン>インタビュー>小野寺太志「アジア大会の目標は金メダル。結果にこだわり、全力で頑張ります!」

インタビュー

2018-07-16 12:00 追加

小野寺太志「アジア大会の目標は金メダル。結果にこだわり、全力で頑張ります!」

SV男子 / 全日本代表 男子

初めてのバレーは中3の時

――バレーを始めたのは高校からでしたでしょうか?

小野寺:正式には中3で都道府県対抗の代表に選ばれたことがきっかけです。

――野球部だったそうですが、引退してから?

小野寺:そうです。野球を夏に引退して、その時にちょうど宮城県選抜の選考会があって。僕は身長が大きかったので、中2の頃からずっとそこに呼ばれてたんですけど、野球をやっているからと最初は断っていたんです。でも、引退して、断る理由もなかったので、中3では参加しました。

――ちなみにですが、野球でのポジションは?

小野寺:メインはファースト、たまにピッチャーとかもやっていました。軟式野球で、県大会3位くらいが最高だったと思います。

――バレーに興味はあった?

小野寺:興味というか、両親がバレーをしていたので、テレビで観たりはしていました。でも、自分がやってみるというのはあまりイメージしていなかったと思います。

――テレビで観戦していたのは、全日本の試合? 印象に残っている選手はいましたか?

小野寺:そうです。北京五輪の頃とか。大学生で出場した清水さんと福澤(達哉)さん、荻野(正二)さんや山本隆弘さんも印象に残っています。事細かに覚えているわけではないですが、北京五輪OQTで出場が決まった瞬間は見ていました。僕自身はバレーに詳しくなかったけれど、「すごいことをしたんだなあ」と。

バレーを始める前に県大会をしている体育館に一度呼ばれたんです。そこに親に連れられて行ったら、北京代表で同じ東北出身の宇佐美大輔さんがいらしていて、話しかけてくれました。「バレーをやってみないか」ともおっしゃっていただきました。当時、宇佐美さんはまだ現役選手だったと思います。

――バレーを始めた時、野球にはもう未練はなかったのですか?

小野寺:最初は正直、やらされてる感じがあり、あまり乗り気ではなかったんですけど、とりあえず、JOCのジュニアオリンピックまではバレーをやってみて、それが終わった時に野球とバレーのどちらにするのか自分で決めればいいと、周囲の大人からは言われていました。

――その時からミドルブロッカー?

小野寺:まだポジションがはっきりしている感じではなく、ワンポイントブロッカーで入ったりとか、ライトで打っていたと思うのですが。とにかく素人でそんなレベルではなかったので(笑)

――最終的にバレーの道に進もうと思った理由は?

小野寺:4か月間バレーをやったのですが、その間にだんだんできなかったことができるようになると楽しくなっていったんです。最初は何もできないところから始まり、パスができるようになった、スパイクが打てるようになった…とだんだんできることが増えていきました。周りにいたチームメイトたちも最初は「こいつ誰だよ?」って感じだったはずなのに、いろいろ教えてくれて、すごくよくしてくれました。その中に同じ東北高校に進学した選手もいました。その中の2人は今は普通に就職しましたが、今もとても仲がよくて、帰省した時は時間があれば会ったりしています。

――高校時代は最初からミドルブロッカーですか?

小野寺:はい、先生に最初から「お前はセンターをやれ」と言われて、ブロックやクイックの打ち方を練習するようになりました。1年目は全くの素人ですけど、強豪校のレベルの高い中に入ることにより、自分も上達していくのが実感できて、いろいろ経験もできたのでよかったと思います。

――素人から始めてもどんどん上達していくあたり、やはりセンスがあったのでは?

小野寺:どうなんでしょうね? でも、身長があった分、有利だったのもありますね。あとは、母が現役時代(母・いく子さんは80年代に旧日本リーグの富士フィルムでキャプテンを務めていた)、もともとレフトだったのですが、クイックも打てたので、ベテランになってからセンターにコンバートしたと言っていましたし、器用な選手だったようなので、そこは似たのかもしれません(笑) 父も大学までバレーをやっていましたし、そのおかげもあると思います。父は全中選抜(全日本中学生選抜)の第1回のメンバーだったそうで、僕の高校の先輩でもあります。

――DNAを受け継いでいますね。

小野寺:そうですね。特に母の遺伝が強いような気がします。

――ご両親は中学生まではバレーを勧めてくることはなかったのですか?

小野寺:まず、バレーをやる環境がなかったんです。小学生で何かスポーツを始めようと思った時に近くにバレーをやっているところがなく、両親は共働きでしたから、遠くまで送迎するのも難しかったということがありました。あとは自分がつらい思いをしてやっていたバレーを子どもにはさせたくないという気持ちもあったようです。特に母はつらかったようなので。それで野球を始めました。でも、最終的にバレーの道に進み、今では両親ともに応援してくれているので、感謝しています。

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