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バレーボールマガジン>インタビュー>越境バレーボーラー黒木陸「バレーを離れた当時、海外に行くという選択肢を見つけていれば、違う人生だったかもしれない。でも今も仕事もバレーも楽しんでいます」

インタビュー

2019-01-22 12:00 追加

越境バレーボーラー黒木陸「バレーを離れた当時、海外に行くという選択肢を見つけていれば、違う人生だったかもしれない。でも今も仕事もバレーも楽しんでいます」

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海外でプレーする選手が増えているのはいいことだと思う

――だんだん海外でプレーする選手が増えていますね。
黒木:いいことだと思います。

僕は実業団に入ったけど、結局1年くらいでやめてしまったので、思うところはあります。いろいろな意味で「日本らしさ」がありましたね。今はバレーに限った話ではないですが、世界が狭くなってると思います。本当にスタンダードが世界に合わせていっている。だから、正直そういう環境があるのは羨ましい。昔と比べると、海外でプレーすることのハードルが低くなって、選択肢の一つになっているじゃないですか。僕も、バレーを離れようと思ったときに、そういう選択肢があるって自分で気づけたら、あるいは誰かから助言があったら、続けることもできたのかなと思います。かといって、今の人生を後悔しているというわけでは全然ないんですけどね。バレーを離れたおかげでいろんなところに顔を出せるようになった。今こうやって香港に来てバレーボールもできてるしね。

今は楽しいですよ。面白いのが、練習をするのにわざわざ1時間半とかかけて行ってるんです。要は、自分の家から体育館が遠いから。試合会場も香港を転々としないといけない。お金をもらっているわけではなくて、好きでやってることです。まさかこうやって、自分がまたバレーボールをやることになるなんて、離れたときには思ってもいませんでした。

――黒木さんを最初に取材したのが2年のときの関東リーグだったかな? その年インカレで早稲田が3位になりましたね。

黒木:多分僕が2年のときと3年のときですね。3位になりました。あの時は達成感がありましたね。

――国内で他のチームに移るという選択肢はなかったのですか。

黒木:僕自身としては、自分勝手にやめてしまったという意識があったので、国内で他のチームでバレーを続けようという気持ちには、なれませんでした。その時は、ここで僕のバレー人生は終わらせようと。

――それがいつの間にか香港でお仕事をされるようになって。

黒木:海外で生活したいという気持ちは、ちっちゃい頃からあったんですよ。僕の父親はオーストラリア人だし、飛行機にのるのも、空港も好きですしね。そういう、海外で生活したいという気持ちはずっとあって、もしかしたら、バレーボールでそれが経験できていたのかもしれない。ヨーロッパなんてほとんど行ったことないんで。ジュニアでイタリアに遠征に行ったのが最後です。15年くらい前ですね。

――今後の目標は。

黒木:今僕の中では、子供もできて、妻も一緒に香港で暮らしているんですよ。あと3年暮らしていると永住権が取れるんですよね。そうすると税金が安くなるから、そこまでがんばりたいかな。うちの会社は今海外の支社が4箇所あるのですが、連続して海外に駐在しているのは僕だけなんです。

最初本当はシドニーに行きたかったんです。シドニーに拠点を出すからということで、社内に公募が出たんですね。だったらと思って手を上げて選んでいただいて。その2日後に電話がかかってきて、「黒木君本当に申し訳ないんですけど、シドニーの拠点の件がとまっちゃって、香港はどうかな?」って言われて。「え! 1日待ってください」と言って、一生懸命ネットで香港のことを調べました。そのくらい香港のこと知らなかったから。調べてみたら結構面白そうなところだなと思って、翌日「僕で良ければ喜んで」とお返事したという流れです。本当に偶然ですね。そして、こんなに長く香港にいるなんて、思ってもみませんでした。香港のいいところもいっぱい見つけられました。最初はカルチャーショックもいっぱいありましたけど、今はなんでこんな人口が多いのかわかりました。

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