2013-10-09 18:08 追加
カーテンコール 成田(大懸)郁久美さん 前編
引退して地元北海道で生活を送る成田郁久美さんにお話を伺った。
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引退した選手に再びスポットを当てる「カーテンコール」。今回は成田郁久美さんにご登場を願った。前編はお子さんのこと、過去の思い出など。
――2ヶ月前に出産されたばかりということですが、あまりそんな風に見えないですね。体型も変わってらっしゃらないし。
そんなことないですよ(笑)
――大学のコーチとかは。
妊娠して8ヶ月まではやっていたのですけど、丁度新しい監督が決まったので。
――指導はどうされるんですか?
またやりますね。この子がまだちっちゃいので近場だけ。
――お子さんは?
男の子です。
――旦那様もバレーをやっていた経験がおありとのことですが、お子さんにもバレーをやって欲しいですか?
わからないですね。環境としては、両親がやっていたスポーツなので親しみはあると思うですよね。家にもボールがあったりするので、自然に本人がやりたいと言ってくれれば嬉しいですけど。バレーと言わずスポーツ全般好きなので、最初はいろんな事をやって欲しいなと思っています。
ところで、昨日ワールドグランプリ札幌大会見に行ったんですよ。この子も連れて。
――え? 生後2ヶ月でバレー観戦デビューですか?
そうそう。ぐずらないか心配だったんですけど、全然大丈夫でした。すごーく静かでしたよ。
――今も全然ぐずらないですもんね。大物ですよね。
試合後にいろんな方に会ったんですけど、トモさん(吉原知子)や素子さん(大林素子)にもだっこしてもらっても全く泣かなかった。カナブン(大山加奈)にだっこされてるときはすごく嬉しそうでした。
それで、素子さんには「18年待ってるね!」って言われてました。
――え?
18年経ったら結婚できる年齢になるでしょ? その時まで待ってるからね、婚約したからね! って。
――えええ、ええええええ!!!
ふふふ(笑)。18年後に期待です。
――18年後はともかくとして、過去の方にスライドさせていただきますけど、NECの全勝優勝の時の思い出などはございますか。
思い出されるのは、私たちは全日本でずっといなくて、そのとき若手がテン(竹下佳江)とかシン(高橋みゆき)とかだったんですけど、彼女たちがすごくて、サマーで優勝したりとか。チームとしてできあがっていて。だから、チームに帰ってきたときに、自分のチームに帰ってきたんだけど、違うチームに帰ってきたみたいな。
――杉さん(杉山祥子)も似たようなことを仰っていましたね。
でしたね。で、吉川さんが監督で、全日本の選手がいない間に、ガンバレ、帰ってくるところがなくなるくらいにガンバレって言われてて、で、「帰ってくるところがない」とはさすがに思わなかったですけど(笑)、なんかちょっと「あれ?」って思ったのは覚えていますね。そこから、リーグに向けてチームを作っていくときに、やっぱり私たちが入る訳じゃないですか。で、やってきたこととかも、すごくよくわかったんですよ。速いバレーをしたいというのも。だけどなんか違うチームでやっているみたいで。自分キャプテンだったと思うんですけど、難しかったという思い出があります。
――全勝優勝のNECをメインとした全日本は、世界ではなかなか通用しなかったですよね。どんなところが原因だったんでしょうか。
うーん、型にはまりすぎていたのが原因だったと私は思っています。実際に自分がプレイしていた時にも思ったことなんですけど、すごく完成されていただけに、この場面ではこういう攻撃、とかこのコンビネーション、というのがすごく決まっていて、新しいこととか、試合の中で突発的に起こる出来事に対する対応力とか、そういうのがなかったというか。だからやってて、練習どおりにいけばいいですけど、いかなかったときに、それ以外のオプションがない、みたいな感じはやりながら思っていた事ではあったんです。
――その後、あまり思い出したくないと思いますけど、シドニーの五輪出場権獲得ならずという出来事がありました。一度は引退もされましたね。
はい。
――私、引退会見にも出席させていただいて、「ああ、一つの時代が終わるんだな」と勝手に思っていたんですけど。
今感じることと、当時感じたことは違うと思うんですよ。やっぱり当時はまだ若かったし。今思えばですよ。当時は若いとは思ってなかったんですけど。だからか、「もうできない」「これ以上できない」って思った。バレーをやってて、楽しくなくなった。勝つことだったり、責任だったり、プレッシャーだったり、そういう者が一番に来てたかなと。それですごく疲れちゃったというのがあったと思うんです。
――それから復帰を決められたのはどういういきさつだったんですか?
復帰を決めたのも突然でしたね。2,3チームからお話しをいただいて。自分からやりたいなとかそういうのは全然なかったんですよ。急に降って湧いたような話だったんで。自分としてはもうやる気ないという気持ちには変わりなかったんですけど、周りの友達とか、夫とかが「チャンスなんだから、今しかないんだからやってみれば」って言ってもらって。「そうかな」って思い始めたんですね。
――なるほど。その時は最初からリベロとして?
はい。最初はリベロで様子を見ながらという感じだったんですけど、よくよく聞くとチームの方は全然そういうつもりでは思ってなかったみたいで、打たせようと思ってたらしいんですよ。私がそう(リベロ)と言わないと納得しないと思ってたからみたい。
――シドニーを挟んで二度五輪に出られていますが、それぞれの思い出を。
アトランタの時は最年少だったし、もういっぱいいっぱいというか、記憶にないみたいな感じ(笑)。気がついたら終わってた、必死でやってたら終わってた。先輩達のレベルにも追いついてなかったし。もうついていくのに一生懸命で。本当に周りの先輩達のおかげでいい経験をさせてもらった。
アテネの時は年も上の方でしたし、ただトモさんとかチエさんとか、もっと上の方もいたので、すごく勉強になることもありながら、若い選手も多かったので、自分が経験者として引っ張っていかなきゃならないという気持ちではいました。
――2回目の五輪はリベロとしての参加でしたが。
リベロはやってみたかったポジションの一つなので、自分としてはすごく嬉しかったというか。すごくやりがいを感じてできたかなと思います。
――レシーブの上手いアタッカーの方がリベロをやる時って、男子の青山さんとかがそうでしたが、一度やってみて、「やっぱりだめだ」みたいなこともあるようですけど。成田さんはそういうことはなかったんですか。
そうですね。逆にアタッカーをやっていたからこそわかることがたくんさんあるんじゃないかなと。ブロックのこともわかるし、あと、相手のスパイクコースも、「自分だったらどうするか」というのもそうだし、最初からレシーバーしかやってなかったという人よりかは、わかることが多いんじゃないかなと。
――世界ベストシックスというのに選ばれたことがあると思いますが。
ふふふふ、笑ってしまいますね(笑)。すごいですよね。
――すごいですよ!
今でもあるのかな? あれって。
――どうなんですかね。
後編に続く
聞き手:中西美雁
写真:出口季里 FIVB
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