2022-02-24 13:41 追加
ザムストPresents”Vの肖像”Vol.4 今季で引退のサントリーサンバーズ鶴田大樹「中学の朝妻先生の指導があって今がある。体の横でもレシーブをという当時画期的なもの」前編
SV男子
強豪校になる前の東福岡へ
高校は東福岡に進学。今でこそ春高常連の強豪校のイメージが強い東福岡だが、鶴田が入学するまでは県大会でベスト8、ベスト4がやっと。鶴田が1年生のときに春高に初めて出場することができた。ここから「強い東福岡」が生まれたのだ。東福岡は「小兵ながら機動力の高いアタッカーが多い」というイメージもあるが、これも鶴田が入ってからの傾向のようだ。それまでは全国大会常連には大濠高校が名を連ねていたが、鶴田が入学したあとも、大濠高校には地区大会や新人戦では負けていたという。「だけど、春高予選やインターハイ予選だけはきっちり勝つんです。藤元先生の練習は、いちばん大事なところにフォーカスするものでした」。
なぜ東福岡に進学を決めたのか。それは、藤元監督が、鶴田が小学生の頃からバレー部の生徒を連れて練習を指導に来たりしていたからだった。
東福岡での練習は、内容が濃かった。体育館が使える時間が決まっているので、その時間までみっちり練習を行う。そして前述のように最も大切な試合を勝ち抜いて全国大会へと進出するようになった。
「4年間球拾いだぞ」と言われても志願した東海大へ
大学は東海大を選んだ。それまではずっと「そんなに強いわけではないチームを自分が入って強くする」という意気込みを持って進路を決めていた鶴田だったが、あえてすごい選手ばかりがいる中で揉まれたいと考えて、藤元監督に頼んだ。藤元監督は「(身長が低いから)4年間球拾いばかりだぞ」と忠告したものの、鶴田が重ねて頼むと、当時何のつながりもなかった東海大学へ鶴田を進学させるために手を尽くしてくれた。
東海大学と言えば、関東一部リーグでも名門であり、インカレでも何度も優勝している強豪校だ。当時の監督は積山氏で、鶴田が1、2年生のときはまだその凄さがわかっていなかった。練習の内容も4年生が決めていて、「なんかコートの端っこに座っているだけのおじいちゃんていう感じでした(笑)」と思っていたようだ。自分が最高学年になって積山監督とやり取りをするようになると、監督が手帳を常に持ち歩き、書き込んでいることがわかった。「誰がベンチレシーブを何回やったかとか、そのときどれくらい気合を入れてプレーしていたかとかが事細かに書かれていたんです。そのとき初めて先生の凄さに気づきました」。
教員志望だったが「キャリアアップ」のためにサントリーへ
鶴田がサントリーサンバーズに入ったのは2014年のことだ。リベロに転向して出場したルーキーイヤーで、サントリーは準優勝となり、鶴田は新人賞を受賞した。「あの年は自分以外の新人はあまり試合に出てなかったからですよ」と謙遜する鶴田だが、もちろんチームの守備の要として活躍したからこその受賞であった。
もっとも、鶴田はサントリーに入団するときにそれほど熱意を持っていたわけではなかった。もともとずっと教員になりたいという目標があったので、サントリーから入部の誘いをもらったときも、あくまでも指導者になったときの「トップリーグでもやっていたんだぞと箔をつける」くらいの意識だったと振り返る。入社一年目で準優勝。その次のシーズンには日本代表でも大活躍した柳田将洋が入ってきて戦力アップし「優勝はあと少しだ」と思っていた鶴田。しかし、現実は甘くはなかった。
後編に続く
取材・文:中西美雁
写真:坂本清
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