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バレーボールマガジン>トピックス>追悼 元博多女子高監督・德丸順庶氏 モントリオール五輪金メダリスト・横山樹理さん「先生は戦う心を教えてくれた。濃い3年間だった」

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2023-09-09 13:37 追加

追悼 元博多女子高監督・德丸順庶氏 モントリオール五輪金メダリスト・横山樹理さん「先生は戦う心を教えてくれた。濃い3年間だった」

高校バレー 女子

中西千枝子さん(元ユニチカ/バルセロナ・アトランタ五輪代表)

 出会いは、中学3年生の冬、博多女子商業にとスカウトに来られました。あまり怖いという印象はありませんでした。その時に、高校ではセッターやってほしいと言われました。一応、中学生の時はエースアタッカーだったので(笑)

 入学して3日目くらいから、レギュラーセッターにされて、トスもうまく上がらず、近くの中学校に負け続けたのですが、そこから一度もコートを出ることもなく、我慢して使っていただきました。レフトの平行トスも届かないセッターでした。

 德丸先生は、もともと器械体操の経験者で、体操、トレーニングが結構変わったものが多くて、特に体操、脚の体操は腹式呼吸でやるもので、よそのチームからいつも注目されていました。私は、公式試合の前の練習で、全員でその体操を汗が出るまでやって、出たら練習して良いと言われて、最後まで汗が出ず、練習せずに試合したこともあります。

 セッターは、指の感覚が大事だからと、指先が切れて血が出ていてもテーピングをさせてもらえず、割れた指でずっとトスを上げていました。練習後はいつも、血がつきまくったボールを拭き取ることをやっていました。テーピングはしたらダメだけど、先生に塗り薬をいただいたことがありました(笑)

 私の中では、高校3年間が私の基盤となっていると思っています。
 ユニチカに入ってからも、帰省休みの時は毎日のように高校に練習に行かせていただいていました。1日休むと戻すのに1週間かかると言われてましたから。

 先生には私の結婚式にも来ていただきましたし、年賀状などのやり取りも必ずしていました。
 一昨年かな、今年を最後にするという年賀状が届かず、心配されたのか、お電話をいただきました。「年賀状が届かんかったとよ」って。

 亡くなられる4日前、私の誕生日で、高校バレー部の後輩でもある娘の直子ちゃんがメッセージをくれたので、「先生は?」と聞いたら、「歩けなくなったけど、父も母も元気にしています」とのことでしたのに……。

 私は今、まさに高校生と一緒にバレーボールをさせていただいています(飯塚高女子バレーボール部監督)が、先生から教わったいろいろなことを絶やすことなく伝えていこうと改めて強く思っています。
 時代に流されることなく、いただいた宝物を子どもたちに伝える努力をしていきます。

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