全日本バレー、Vリーグ、大学バレー、高校バレーの最新情報をお届けするバレーボールWebマガジン|バレーボールマガジン


バレーボールマガジン>インタビュー>1984ロス五輪銅メダリスト・三屋裕子さん(現・日本バスケットボール協会会長)インタビュー「スポーツが世の中にいい影響を与え、社会課題の解決につながるような活動をしていけたら」

インタビュー

2025-03-28 16:27 追加

1984ロス五輪銅メダリスト・三屋裕子さん(現・日本バスケットボール協会会長)インタビュー「スポーツが世の中にいい影響を与え、社会課題の解決につながるような活動をしていけたら」

Others / 全日本代表 女子 / 大学バレー 女子


2024年度卒業生からは2名の選手がSVリーグに入団した筑波大女子バレー部(撮影:黒羽白)

――現在の女子バレー界、三屋さんの後輩にあたる筑波大の卒業生では、井上愛里沙選手が今季限りでの引退を発表しましたがパリ五輪に出場しましたし、佐藤淑乃選手も次のロス五輪代表候補として期待されています。さらに、SVリーグの各チームに筑波大のOGがたくさんいますね。

三屋:なかなか大学の方に顔を出す時間がないのですが、同窓会便りなどで後輩の活躍はいつも見ています。今の大学生って、カリキュラムの中で結構動作分析とか入ってくるので、学業として学んだことをプロの世界でもちゃんと活かせているのではないかと感じています。

――現在は日本バスケットボール協会に携わり、副会長の時から数えると10年くらい経ちますが、その間3度の五輪もありました。バスケットボール界でのキャリアを振り返って、どのように感じていますか?

三屋:(国内バスケットボールリーグが2つに分裂したため)国際バスケットボール連盟からの制裁を受けている時に副会長になりました。その制裁解除を副会長の時にやって、もう1回新しい組織を作るところから会長を務めているので無我夢中でした。
そして、東京五輪で女子が銀メダルを獲得してくれて、「次は男子だ」となり、男子がようやく自力でパリに行けるようになるところまで持ってきたので、この10年間、ただの一度もホッとすることはなかったですね。ずっと何かに追われ続けているような時間で、振り返る余裕すらあまりなかったので…。でもやっぱり、こんなバスケ素人の私にみんなよくついてきてくれたなって思うと、私の周りの人たちが偉いなと感じます(笑)

――著書などを拝読しても、三屋さんは若い頃から才能があるのはもちろん、その時々の立場で最大限以上の努力をされていて、本当に素晴らしいなと思います。

三屋:本来は怠け者なんですよ。なので、ちょっと気を抜くと怠けるんじゃないかって自分の中で怖いので。あと、「まあ、いいか」って思う自分が嫌いなんです。だから、見て見ぬふりをしないように、「まあ、いいか」という言葉をなるべく言わないように頑張ろうと思って、物事に取り組んでいます。

――最後に、バレーボールもSVリーグが始まり、完全プロ化を目指していこうと動いていますが、バレー界に対してエールをお願いします。

三屋:認知度はバレーの方が高く、まだまだやれることはたくさんあるんだろうなと思いながら見ています。お互いにバスケもバレーも協力しながら、スポーツが世の中にいい影響を与えるような、社会課題の解決につながるような活動をお互いにやっていけたらと思います。

プロフィール

第33回オリンピック競技大会(2024/パリ)TEAM JAPAN壮行会にてJOC副会長として登壇(撮影:坂本清)

三屋裕子(みつやゆうこ)
1958年7月29日、福井県勝山市生まれ。
中学からバレーボールを始め、高校は東京の強豪・八王子実践高へ。卒業後、筑波大に進学し、3年生だった1979年にメキシコユニバーシアードで銀メダルを獲得。この活躍をきっかけに同年、日本代表に初選出される。1980年にモスクワ五輪代表に選出されるもボイコットのため涙を呑むが、1984年ロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得。現役引退後は教員の道に進み、その後上場企業の社長に就任するなど多彩な場で活躍した。スポーツ界ではJリーグ理事、日本バレーボール協会理事、日本バスケット協会会長、日本オリンピック委員会副会長などを歴任。競技の枠を超え、スポーツの力で社会を支える先駆者として活躍を続けている。身長177cm。現役時代のポジションはセンター(現在のミドルブロッカー)、コートネームは”三ツ矢サイダー”が由来の「サイ」。

取材・文:高井みわ

>> インタビューのページ一覧へ戻る

同じカテゴリの最近の記事