2015-03-10 12:13 追加
カーテンコール 多治見麻子さん
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アリー・セリンジャーとの出会い
「本当にまだできるんだろうか?と半信半疑でした。でも、ほかの選手は複数のオファーの中から行きたいチームを選んでいた人もいたけれど、私に声をかけてくれたのはセリンジャーさんだけ。パイオニアに行くか、引退するかの二択で、私はバレーを続けることを選びました」
東京都出身で、東京に体育館のある日立にずっと在籍していた多治見にとって、山形のチームは大げさに言うなら未知の世界だった。
「でも、行ってみたら、温泉もあって、怪我の治療もできるし、人もいい人ばかりで、本当にいいところでした。今でも山形の人たちとの交流が続いてるくらい。私だけでなく、パイオニアに所属していた選手で山形好きは多いですよ。メグ(栗原恵)もそうだったと思うし…」
「セリンジャーさんとの出会いがなかったら、もっとずっと早くに引退していたでしょうね」と多治見は言う。実際、体がつくられたのはもちろん、ピークの持って行き方など、調整も上手になり、チームに貢献した。そして、2007年、8年ぶりに全日本にも選ばれたのである。2008年には北京五輪に出場。「2大会置いて、またオリンピックに出られるなんて、なかなかないですよね」と笑う。
実は、その全日本復帰の前に、アメリカで「プチ留学」も経験している。「もともと海外に興味がありましたし、当時パイオニアの監督だった吉田敏明さん(現・上尾メディックス監督)の勧めもあり、行ってみることにしました。語学を学んだり、現地の大学チームでバレーをしたりといった経験でリフレッシュでき、帰国後もよいパフォーマンスが発揮できたのかもしれません」
研究テーマは「スパイクの動作」
多治見は長いバレー人生の大半をミドルブロッカーとしてプレーしたが、高校時代まではサイドアタッカーだった。スイングに癖があるのが難点で、ユースに選出された時、当時監督だった西本哲雄に、「スイングの癖を矯正するためにセンターをやらせてみてはどうか」と助言したのが同じミュンヘン五輪金メダリストの大古誠司だったという。その見立ては正解で、以降、多治見は当時でいうセンタープレーヤーに転向し、活躍した。
そんな多治見の大学院での研究テーマもスパイクの動作についてだという。
「女子バレーに長く携わってきて気になっていたことを分析しました。ミドルの選手を見ていると、スイングがコンパクトすぎることがある。ポジションごとにスイングの仕方を変えるのではなく、ミドルもサイド同様、腕の振りを大きくしてもよいのではないか? そういったことを実験し、検証を重ねました。私を知ってる人はみんな驚きますね。麻子が研究? 論文? 本当に大丈夫なの?って(笑)」
バレー教室などに遠征しても、宿泊先で持参したパソコンに向かう多治見の姿があった。そして、苦労の末、論文の発表を終える段階まできた。通常、2年で履修するカリキュラムを1年で終える課程で、とてもハードだったが、若い学生に混じって頑張った。
ミドルというポジション。そして、これから
現在、全日本女子は「ハイブリッド6」という戦術をしいているが、長年、ミドルブロッカーとしてチームでも全日本でも活躍してきた多治見にとって、このポジションの魅力はどんなものだったのだろう?
「若手の頃はブロック賞をいただいたりして、ブロックが得意でしたが、30歳を過ぎてからは駆け引きが面白くなりました。他のスパイカーを生かすために、自分はどんな動きをすればいいのか考えて、ポジションの入り方なども工夫して…。みんなで協力し合って、攻撃が成功した時は達成感がありましたね。ミドルを使うことでサイドも生きると思います。昔はサイドの選手が速攻に入ったりもしてましたよね。今のスタイルにも通じるところがあると思うんですけど、いろんな人がいろんなことをできるのは大事かな? ミドルでいうなら速攻も移動攻撃もできる方がプレーの幅が広がっていいですよね。眞鍋(政義)さんのバレーも、今度はどんなことをしてくるんだろう?と楽しみにしてるんですよ。眞鍋さんもコーチ陣もいろいろ研究して、考えてるんだなーと勉強になりますね」
「来年以降の展望は?」と尋ねると…。
「新しい道を歩き始めたばかりだから、まだこれからどうなっていくのかわからない部分もありますが、講師などのお話もいただいています。選手時代にはわからなかった、バレーってこんなふうに研究されているんだという側面を知り、もっともっと学んでいかなければならないと感じています。宝くじバレー(宝くじの社会貢献広報事業のひとつ。元全日本選手がママさんバレーを指導したり、親善試合を行う)にも参加させていただいていますが、そこでご一緒させていただいている、バレー界の年代の違う先輩方のお話も勉強になりますね。現役時代とはまた違ったことをいろいろな人から学んでいます。今度は自分の経験を指導者としてどう伝えていくか、考えていきたいと思っています」
押しつけではなく、自分で考えて動ける選手になれるような指導がしたいという。怪我をしない体のつくり方などを自ら習得していくことで、バレーボールの本当の意味での楽しさを知り、成長が期待できると多治見は話す。これは、多治見自身が長いバレー人生から学び、実感したことでもある。
今後、さらなる成長を遂げた多治見が指導者として頭角を現す日が来るのを楽しみにしている。
文/高井みわ 写真/FIVB 中崎武志
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