2016-04-30 12:10 追加
たとえ下部リーグでも「Vリーガーとしての誇りを胸に」川合翔太
川合翔太インタビュー
V男子
春は別れの季節。Vリーグに所属する多くの選手が移籍、退団、引退を発表する。早ければリーグ戦終了後の3月には、遅くても黒鷲旗の前後には、チームから公式発表がでる。
トップリーグ・Vプレミアのチームであれば、まだ発信力があり、多少はテレビ、新聞や雑誌などのメディアで取り上げられる。しかし、下のカテゴリーとなると、発信力は一気に弱まる。実質3部リーグにあたる、VチャレンジⅡのチームとなると、皆無に等しい。
3月31日、VチャレンジⅡの兵庫デルフィーノの公式ホームページで、一人の選手の退団が発表された。川合翔太、4シーズンにわたって、チームの中心選手として活躍した。左腕から繰り出される打点の高いスパイクは、一旦リズムに乗せると止めるのは困難。チャレンジⅡでその姿を見るのが惜しい選手だった。チームからの退団をもって、6人制の国内最高カテゴリーである、Vリーグを離れ、9人制チームの住友電工に移った。
普段バレーボールを観戦する人にとっても、決して名のある選手ではない。代表選手でもなければ、プレミアリーグの選手でもない。なかなか陽が当たることがない、VチャレンジⅡではあったが、川合選手は「Vリーガー」としての誇りを胸にデルフィーノを退団した。桜が舞う春先、インタビューに応じてくれた。
――デルフィーノでの4シーズンお疲れ様でした。9人制へ移られるとは思いませんでした。9人制はどうですか?
川合翔太(以下、川合):9人制は初めてで、今もルールを知らないことがあって、勉強中です。今は日中、会社で働きながら、チーム練習や試合に出ています。
――どういった経緯でデルフィーノから住友電工へ。
川合:1月末から2月頭にかけて、選手を探しているという話が着ました。ただ、実際に決まったのは、シーズン最後の前日、前々日くらい。だから、最終戦の前に、直接伝えれなかったチームメイトも多かったです。
――かなりギリギリだったんですね。
川合:最終戦前に伝えるのは怖かった。チームの雰囲気を壊すのではないかと。もちろん、「がんばれよ」と皆言ってくれたけど。
――そんな中で臨んだ最終戦。
川合:相手も、地元のライバルでよく練習試合もする、きんでんトリニティーブリッツやったんで、やってやろう!という気持ちがあった。(負けて)悔しかった。終わったんやな〜というのと、きんでん戦はあまり点に絡めれず悔しかった。もっとできたやろと。
――結果的に、最終シーズンとなった今シーズン(15/16シーズン)を振り返ってください。
川合:優勝を目指して、シーズン前に、今まで以上にトレーニングをつんでいた。特にサーブとブロックの強化に取り組みました。サーブに関しては、トレーニングで筋力をあげてサーブスピードをあげて、何割かの力でコントロールして強弱をつけるようにした。そのおかげで、サーブに関しては自分の思うくらいにはいけたかなと思います。
スパイクに関しては十分自信があった。1レグとかは好調だったんですが、年明けから調子を落としてしまいました。
――チームもなかなか勝てず苦しかったと思います。
川合:優勝を争っていたVC長野トライデンツやきんでんに敗れて、2月以降は目標にしていた優勝が無くなってしまった。自分たちより(試合当時の順位が)下位のチームに負けたり、また、自分自身もどうしてもその時の仕事の都合で、試合に参加できず、チームが連敗を重ねてしまった。
――2月6日、7日は、地元兵庫でのホームゲームで連敗。川合さんも6日のVC長野戦では絶不調でした。
川合:ホームゲームということで気負っていた。1位の相手に対し、チームとしてミドルブロッカー(センター)を機能させていこうというのがあったけど、なかなか難しかった。長野のブロックに対して、1レグ、2レグとやって、かなり意識してしまった。相手に対応されてしまった。
――翌日7日の近畿クラブ戦は試合こそ敗れましたが、川合さんは一転して、公式データではスパイク決定率が60%を超えるなど絶好調でした。
川合:前日、ハイセットのスパイクが(ブロックやレシーブに)捕まっていた。試合前アップの前にリベロの方に付き合ってもらって、ハイセットを20本から30本、エンドラインへ打ち込んだ。トレーナーの井手口(翔星)さんは、「まだまだいける」と言ってくれたが、(60%は超えたが)調子自体は決して良いとは思えなかった。
――シーズンを振り返ると、フルセットがありません。ストレートでの勝ち負けが多いです。
川合:そうです。原因は僕らもわからなかった。チャレンジリーグが分かれる前まではフルセットはもちろんあったのに。ただ、正直チームとして体力が無かったのは確かです。きんでん、長野相手にストレートで簡単に勝てないとは思っていたが、あっさりストレートで負けたり。なかなか試合中に、流れを変えていくことができなかった。
――ホームゲーム、翌週と4連敗。
川合:最悪な雰囲気でした。しかし、和歌山での東京トヨペット・グリーンスパークル戦でストレート勝ちし、リーグ最終戦のきんでん戦に向けて弾みがつきました。きんでんは、互いに拠点が近いこともあり、いつも練習試合をさせてもらっていた。そして、ライバルとして意識させてもらっていた。そういうこともあって、練習から良い雰囲気で臨めた。
――最後の試合はストレート負けでした。
川合:良い形で終わりたかったです。
――リーグでは残念でしたが、天皇杯では、日本代表の石川祐希がいる中央大学と、大観衆の中で試合を経験しました。
川合:組み合わせ前、やるんだったら、中央大だったらいいねと言ってたので、決まって、「中央大きたー!!」って皆モチベーションがあがりました。「テレビくるね!」って(笑)
――試合してみていどうでしたか。
川合:もちろん勝ちにいったんですが、1セット目(24−26)、2セット目(22−25)と競って、3セット目(11−25)はガス欠でした。
――石川の印象は。
川合:石川くんに決められるのは想定済みだったんで、どうつめていくかがポイントでした。それ以上に、一番嫌だったのが、武智洸史くん。関田誠大くんのジャンプサーブが嫌だったって話すチームメイトもいました。中央大はジャンプサーブがⅠセット目から違った。
――石川が登場ということで、会場が大観衆でした。
川合:アリーナ内で僕らの試合コート周辺のスタンドは立ち見まで出てました。そんな状況で試合するのは初めて。デルフィーノ目当てのファンも来ていましたし、石川くん目当ての観衆に対しても、デルフィーノの存在をパフォーマンスでアピールしました。観客を楽しませてやろうと。満員の中で、点を決めて、得点パフォーマンスするのは気持ち良かったです。ちょっと力入れすぎましたね(笑)
――パフォーマンスも重要だと思います。
川合:僕らクラブチームは、試合会場に観客が来てもらわないといけない。プレーだけで客を呼べられたらいいんですが、観客が見ていて楽しんでもらわないといけない。パフォーマンスは僕らの色です。
――デルフィーノの4シーズンを振り返ってください。
川合:大学3年生の時にデルフィーノと試合する機会があり、4年生の時、誘われました。Vチャレンジリーグ(当時はⅠとⅡに分かれておらず)のシーズン途中、年末頃にチームに加わり、年明けから試合に出ました。絶対にレギュラーで試合に出れるとは思っていなかった。デビュー戦の相手は大同特殊鋼レッドスターで、ピンチブロッカーで出た。実は、その試合、チーム史上初めて大同特殊鋼に勝って、盛り上がってたけど、全然わかっていませんでした(笑)
次の日のジェイテクトSTINGS戦にスタメンで出れて、3本連続サービスを決められた。これで意外とやっていけるかもしれないと自信がついた。
――思い出に残ってることはありますか。
川合:DVD※の撮影です。13/14シーズン前の秋ころ、チームで「世界標準」というテーマにしたDVDの撮影があった。スロットとか、バレーを言語化できて、面白いな〜とデルフィーノに入って良かったと思った。(元所属選手の)太田有紀さんの影響も大きかった。バレーの面白みを新発見できて、バレーって面白いなと。
そのシーズンは、加藤陽一(現・久光製薬スプリングスのコーチ)がいたつくばユナイテッドSunGAIAとフルセットで競ることができたり、“世界標準”のバレーという手応えを感じた。ただ、結果が伴わなかった。何が正解かの迷いもあった。カテゴリーによって、戦い方を変える必要はあったかも。
※DVD「『 テンポ 』を理解すれば、誰でも 簡単 に 実践 できる !! 世界標準 の バレーボール」
――14/15シーズンの思い出はありますか。
川合:14/15シーズンのホームゲームです。会場が、高校、大学のバレー部の試合でよく使っていた、思い出の体育館で、1日目の大同特殊鋼戦はフルセット負け、2日目の東京ヴェルディ戦はフルセット勝ち。ファンだけでなく、知り合い、母校の先生方も会場に来てくれた。2日目勝った時には、思わず嬉し泣きしてしまいました。
――他に何かありますか。
川合:やっぱりクラブ型チームということで、なかなかチーム全員がそろって練習ができず、仕事とバレーの両立が大変でした。フルタイムで仕事しながらになるので。でも、その中でも結果を出さないといけない。ファンが増えているので、良い形を見せたい。でもチーム全体としてコンディションがあがらない。もどかしかった。
特に今シーズンは淡白なゲームになってしまった。勝ちたいという気待ちが強すぎてしまって、求められていたことと、何というか…。
――難しいですね…。川合さんはデルフィーノからの退団でVリーグというカテゴリーから離れるわけですが。
川合:Vリーグからは引退という形になりますね。やっぱりバレーをしていたら、ある程度の選手たちは、Vリーグというカテゴリーに憧れると思います。
ただ、チャレンジリーグの人にも色々な人がいて、Vリーグという誇りを持っている人もいれば、「どうせチャレンジ」という人もいた。
僕は「Vリーグや」という誇りをもって、チャレンジかもしれないけど、Vリーガーという誇りをもってやっていた。4年間Vリーガーとしてプレーした誇りを胸に退団しました。
――最後にデルフィーノに向けてお願いします。
川合:バレーの楽しさ、面白さ、色んな貴重な経験をさせてもらった。4シーズンだったんですけど、色んな選手たちと戦うことができて良かった。ありがとうございます。
――デルフィーノのファンに向けてお願いします。
川合:こんなに無名だった選手を試合会場で応援してくれて、嬉しかったです。今度は9人制ですけど、今後も応援していただけると嬉しいです。是非機会があれば、よろしくお願いします。
――ありがとうございました。
プロフィール
川合翔太(かわい・しょうた)1991年1月21日、兵庫県西宮市出身。兵庫県立西宮今津高等学校、姫路独協大学とバレーを続け、大学4年時に兵庫デルフィーノに加入。4月から9人制の住友電工でプレーする。身長185センチ。指高243センチ、スパイクジャンプ340センチ、ブロックジャンプ325センチ。ポジションはオポジット、ミドルブロッカー。
取材後記
正直に告白すると、川合選手のプレーを生で見たのは、今年1月30日のVC長野戦が初めてだった。身長こそ185センチだが打点は高く、自分の強みを理解してスパイクを決めているなという印象を受けた。また、ジャンプサーブも高確率で相手守備網を崩していた。タイプ的には、インドアの元日本代表で、現在ビーチバレーで活躍する上場雄也選手と似ていると感じた。
個人的な見解を記す。川合選手がプレミアで通用するかどうかはわからないが、プレミア全体で左利きが不足しており、何かしらチャンスがあるのではと思っていた。だからこそ、Vリーグというカテゴリーからの離脱、住友電工への移籍は意外だった。そこに色んな葛藤や悩みがあったと察する。
Vリーグは15/16シーズンから、Vの下部カテゴリーにあたる、チャレンジリーグを1部と2部に分け、チーム数も増えた。リーグ全体の底上げを意図したものだと思われる。だが、環境的に厳しいチームが多いのも事実だ。
チャレンジⅡの各チームに、川合選手を始めとして、キラリと光る選手は実は結構いる。そういった選手たちが少しでもVリーガーとして誇りを感じられる、少しでも長く活躍し、チームの昇格、あるいはプレミアやチャレンジⅠのチームへの移籍を掴めたらと願う。(文責:大塚淳史・写真:久坂真実)
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