2017-02-07 17:20 追加
カーテンコール ”美しきバックアタッカー”山内(藤本)美加さん
引退した美しきアタッカーの今
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美しきバックアタッカー、山内(藤本)美加さん。ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将、アリー・セリンジャー氏の指導で1990年代当時、女子ではほとんどなかったバックアタックを習得。182cm、最高到達点317cmの高さからパワフルな強打を叩き込み、所属していた久光製薬スプリングスの前身クラブ、ダイエーオレンジアタッカーズを第1回Vリーグチャンピオンに導いた。
元プロ野球・オリックス選手の藤本俊彦さんとの結婚を機に引退し、現在は徳島で暮らす。選手時代の思い出、バレーボールへの思い、バスケットボール選手の娘さんのことについてなどお話しいただいた。
──美加さん、お久しぶりです。引退されたのは確か……。
お久しぶりです。引退したのは1997年です。結婚を機に引退したので、結婚して20年経ったってことですね。
──今はどちらでどんなふうに? バレーボールには試合の解説などで?
そうですね、徳島にいますので、バレーに関してはできるときに解説やバレー教室の指導を手伝っています。サリー(坂本清美さん)とか、ダイエー時代の同期と行くこともありますね。依頼があるときに、小学生や中学生に教えています。子供の(バスケの)試合や仕事もあるので単発的にですが、バレーとは離れたくないというか携わっていきたいと思っていますし、懐かしい人たちに会えるのはリフレッシュにもなって楽しいので、やれるときは頑張りたいなと思っています。普段も試合はよく見ています。
──普段は徳島でお仕事も?
はい。徳島市の観光案内所で仕事しています。徳島市の案内をしたり特産品を紹介したりですね。
──いいですね! では、ぜひ徳島のおすすめを教えてください。
はい。徳島といえば「阿波おどり」って感じですが、自然も多いですし、観光地としては「うずしお」「かずら橋」もいいですね。食べ物も海の幸とかおいしいものもたくさんありますね。それから人柄が「阿波おどり」のようににぎやかながら気さくで優しい人たちなので、いらっしゃっても楽しくゆったり過ごせる場所だと思います。
──案内されていて、お客さんから「バレーの山内さんでは?」って言われたりすることはありますか?
ありますね。バレーからずいぶん離れているので、たまにですけどね。お母さん世代からときどき言われます。
──そして、ご家族は。
旦那さんと娘が2人です。主人はスポーツのトレーニングを教えています。娘2人はバスケットボールを頑張っています。姉(藤本愛妃)が今大学1年生(桜花学園→東京医療保健大学)で、妹(藤本愛瑚)が桜花学園高校の2年生です。(藤本愛妃選手は2016年度ユニバーシアード日本代表候補、藤本愛瑚選手は2016 FIBA U-17世界選手権の日本代表に選ばれている)
──娘さん大きくなりましたね。20年経ったわけですねぇ……。現役の頃のことを振り返ってみて、今どんなふうに思われますか?
やっぱりたいへんでしたね……(笑)でも自分の中で基本というか、バレーができるようになったのはセリンジャーさん(アリー・セリンジャー氏、ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将。国内でもダイエー、パイオニアの監督としてVリーグで優勝)がダイエーに来られて指導を受けるようになってからで、自分の人生が変わりました。そこからナショナルチームにも選考してもらえるようになったので。
でも、今では子供たちに教えたり触れ合ったりしてバレーボール楽しいなと思えますけど、当時はたいへんなこと、苦しいこと、つらいことが、やっぱり一番でした。体が資本だったし、セリンジャーさんには徹底的に体を鍛えられましたから。
──けっこう鍛えられました?
相当鍛えられましたね……。20歳くらいからずっと。走り込みやトレーニング、練習がそれはもうたいへんで。ボールを使うよりも外に出て走ったりすることが多かったですね。朝や練習後に200mダッシュ3本、5本のノルマがあったり、50m走を20本だったり、1マイル走をしたりなど、ありとあらゆる走るトレーニングをしていましたね。その後にウエイトトレーニングももちろんあります。まあ走ることは基本なんですけども。
あるときインタビューで「すごくつらくて泣きながら走ったこともある」っていう話をしていたのを、マッチョ(斎藤真由美さん、イトーヨーカドー、ダイエー、パイオニアでプレー)が見て、“そこまではないだろう”って思っていたみたいなんですが、移籍してきて、実際にセリンジャーさんのトレーニングをしてみて、“やっぱりそうだったんだ、たいへんだったんだ”と。それで会ったときに、「あれ、やっぱりほんとでした。たいへんでした」って話したことも。ほんとにきつかったですね。
──今だと「ハードワーク」といえば、JT女子の吉原監督ですが……。
ああ、そうですね。たぶんセリンジャーさんのハードワークをそのまま引き継いでいるんじゃないかなと思います(笑)それだけハードワークしないと「戦う体」を作れないですからね。
(吉原知子監督はダイエー、パイオニアにも所属し、セリンジャー氏のもとでプレー)
──確かに……(笑)。そしてそういう体作りの結果、土台ができて、あの「バックアタック」が生まれたわけですね。今は女子もけっこう打ちますが、1990年代初めとしては珍しかったのではないですか。セリンジャーさんが美加さんの素質を見てバックアタッカーとしての才能を開花させてくれたわけですね。
そうですね、あの頃は、あまりバックアタックはなかったですね……。それでもダイエーは男子バレーみたいなバレーがしたいなと思っていて、セリンジャー監督が指導されていたオランダの男子チームがダイエーの体育館に練習に来たときにバックアタックを初めてみて、すごいなと思って、“あんなふうに打ちたい”と思ったんですけど、実際にやってみるとなかなか難しく、そんなに簡単にできるわけでもなく……。入るタイミングなどいろいろと。本当にできるまでしつこくやりましたね。やり始めた頃に40日間の海外遠征があったので、当たり前にバックアタックが打てる、当たり前にバックアタックとして入るフォーメーション、ポジション、コンビができるまで徹底的に言われ続け、やり続けました。
──それはたいへんだったでしょう。セッターもたいへんでしたよね?
はい、名取(辻知恵さん)もたいへんだったと思います。
──どこのポジションからも打つ! と。
そうですね。最初にセンター、それからライトへなど、パターンにしたがっていろんな所から打っていましたね。
──そんな美加さんが、今の選手たちのバックアタックを見て思うことはありますか?
そうですね、やはり思ったりしますね。バックアタック1本で、ライトからだけセンターからだけみたいになっていることが多いですが、一つのポジションからだけでなく、もっといろんな所から打つとか、もっと絡みを入れてもいいのかなとは思います。単発になったらバックアタックもあまり意味がないので、前で他がいろいろ絡んでとか……。
ダイエーの時はボールが少々離れようが(パスやディグが)崩れようが、センターなどから絶対にバックアタックに入らなければいけないという感じでやっていました。全員がその動きの中で止まることなく必ず動かなければいけなかった。こう動いたらこう動くみたいなのが自然にできるようになるまで(コンビ練習などを)やっていました。そういう感じでしたので、今、試合を見ていても、“あ、もっと入れるのに、もっとここで使えばいいのにな”と思うことはありますね。
──本当にそうですね。複雑なコンビネーションの中からのバックアタック見たいです。そして美加さんはオリンピックも経験されました(バルセロナ、アトランタ五輪に出場)。ナショナルチームのことで覚えていらっしゃることは?
バルセロナは全日本に選ばれて初めての年だったのでたいへんでしたね。見ていたスターメンバーが勢揃いで。(中田)久美さん(現・久光製薬総監督、次期の日本代表監督)、(佐藤)伊知子さん(東北福祉大監督)、(大林)素子さんらがいて、どういう人なんだろう、どうすればいいんだろうってとても不安で緊張していました。でも、みなさんサバサバしていて、試合は勝負事なので厳しいですしそれは当たり前なんですが、試合や練習を離れると気さくに話ができました。久美さんとは部屋が一緒のときもあっていろいろと気にかけてくださって、どんなトスがいい? とかも聞いてくださったりして気持ちが楽になりました。
──改めて今オリンピックのことを思うと、いかがですか?
やっぱりそのオリンピックの場というのは、出場権を取るのも出られるのも限られた人間だけですし、選んでいただいて出場できてよかったと思っています。出てわかったんですが、国際大会にもいくつも出ていますが、オリンピックはまるで違う雰囲気でしたし、気持ちがまるで違いました。やっぱりどの競技もトップの人たちが来ている中で、そこに日本の代表としていられるのは誇らしかったですし、頑張ってよかったと思いました。
でも、よかっただけではなかったですけどね……バルセロナはメダルが懸かっていて本当にたいへんだったし、ものすごく緊張して記憶が……試合も全部は覚えていないくらいで。それからアトランタはフルで出られず見ていることが多かったので、(私)何をやっているんだろうと感じていたりしましたので(結果はバルセロナ五輪5位、アトランタ五輪9位)。
──娘さんもバスケットボール選手として大学や高校のカテゴリーで日本代表に選ばれたり、代表候補になっていてオリンピックも含めて楽しみですね。最初からバレーでなくバスケットだったのですか?
はい、そうですね。まず姉(愛妃)の方が、友達がバスケットボールをやっていて一緒に遊んでいるうちにバスケットやりたいと先に始めました。妹の方(愛瑚)は(お父さんの影響もあってか)野球がうまくて大好きで少年野球をやる予定だったんですけど、将来的にどうかなと思って……それで体験で姉が行っていたバスケットボールクラブに行ったら、「自分もバスケットをする」ってなりました。楽しかったんでしょうね。それからずっとバスケットボールをやっています。
──ともにこの前3冠を達成した名門、桜花学園に進まれて。競技は違いますが、日本代表として活躍された経験から、娘さんが日本のトップクラスでやっていけるかなと思われたのはどのあたりですか?
小学校で全国大会に出場して、小松島中学校で、四国大会で優勝して全中に行くことができました。それで高校から県外へ行くきっかけができ桜花学園に入ったあたりでしょうね。でも桜花へ行っても厳しかったですね。全国区の、トップのレベルの選手が集まっていて練習もたいへんですし、親元を離れて寮生活をしていてホームシックになる選手もいたり。それでもできるだけそうならないように配慮をしてくださる監督で、さまざまなことを考えてくださったり教えてくださったので、本当によかったと思っています。外に出て子供も性格や考え方も変わったな、大人になったなって思いますし、バスケだけなくて、精神面でも強くなったなって思いましたから。
──お父さん、お母さん思いのところも?
(家を)出てよくわかるんじゃないでしょうか。親元を離れて初めてわかることもありますよね。
──お母さん、お弁当作りなども頑張りました?
頑張りました(笑)食事面のことなど(スポーツをやっているので)気を遣ったり、季節によっても食べるものを変えたり、食べやすいものとか。体作りは食べることでもあるので。いくらトレーニングをしていても食事がちゃんとしていなかったら体はできないと思うので、頑張りました。そんなふうに子供のサポートを頑張ってこられているのは、自分が両親からそうしてもらってきたからというのがあります。だから、自分も両親がそうしてくれたようにしっかりサポートしてあげたいと思って……それは同じようにスポーツ(野球)選手だった主人も同じ思いです。
──親として、元日本代表選手として、これから2人にどんなふうになってほしいですか? 娘さんたちに言葉を贈るとしたら。
日本代表になりたいという気持ちは2人ともやっぱりありますよね。上の子は大学に行って真剣にやりたい、ユニバの代表にも選ばれたいという思いが強くなっていますし、下の子はちょっと疲労骨折などけがが続いていたんですけど、ようやくしっかりできるようになってきて、今2人とも自分がなりたいという目標に向けて頑張っている状態です。せっかく始めたバスケですし、厳しい状況で戦ってきて頑張ってきているので、将来も何かしらバスケに携わってもらいたいなと思いますね。今頑張っていることは絶対無駄にはならないですし必ずプラスになるので、今のうちにたいへんなことをたくさんして今しかできない苦労をやって、自分の頑張ってきたことを身につけて、自分のやりたい道をしっかりと進んでいってほしいと思います。
──バレーボールとしては後輩たちは、久美さん(日本代表監督)のもとで東京五輪を目指していくわけですが、そんな彼女たちにぜひ先輩からエールを。
正直、日本でなく他の国でのオリンピックの方が戦いやすいと思います。東京は地元ですし、地元だからしっかりとした成績を残さなければならない、どの競技もふがいない試合はできないと、そういった部分でもよりたいへんなのではと思います。今の段階でも、もちろん個々のレベルは上がっていて世界レベルになっていますが、日本ですから、その東京五輪の日本代表としての日の丸の重みはたいへんになると思うので、今以上に自分をアピールして自分をしっかり出して頑張ってほしいなと思います。バレーボールは注目される競技でもありますから、老若男女問わずに人気のあるスポーツなので。
──東京五輪、あっという間に来そうですよね。現役って長いようで短いですし……。
そうですね。今は前よりは現役を長く続けられるようになったとは思うんですけど、選手としてプレーできる時間は限られていますから。今を頑張ってほしい。大切に過ごしてほしいと思います。
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