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インタビュー

2017-10-31 17:38 追加

豊田合成 高松卓矢「僕のバレー人生は、出会いに恵まれているんです」(後編)

高松卓矢インタビュー

SV男子

昨シーズンは準優勝、今年度は全日本の招集もあった高松卓矢選手にお話を伺いました。これまでのバレー人生を振り返っていただいています。

――改めて、これまでのバレー人生を振り返っていただいてもよろしいでしょうか。
何がきっかけでバレーボールを始めたのでしょうか。

両親の影響ですね。父も母も両方共バレーボールをやっていたんです。父は9人制で全国2位。ぶっちゃけ正直いうと楽そうだからバレーボールを選んだんです(笑)。屋外でやるスポーツは泥まみれになるし、バスケは大変そうだし、残りのインドア競技は人気がなさそうだなと思って、あとは両親もやってるし、バレーボールでいいかと消去法ではじめました。

――意外です。消去法だったんですね。

やってみたら、めちゃめちゃきつかったんですけどね(笑)。あ、でも僕一度バレーをやめているんですよ。小学校6年生のときかな。それで、中学に入ったときはソフトテニス部だったんです。

――ソフトテニス部? それはまた、随分イメージが違いますね。

漫画の「テニスの王子様」っていうのがすごく流行っている時期だったので、それで。でも3ヶ月でやめて。その後は1年間位部活もせず勉強もせず、ダラダラ過ごしていたんです。そうしたら父が「お前、今何やってるんだ」「……何もやっていない」「わかった。お前は今から転校して、もう一回バレーボールを始めろ」と。その時僕が通っていた中学校には男子バレー部がなかったんです。すぐとなりに中学校があったので、転校させてもらって、またバレーボールを始めて、その後はずっと続けています。

――では、高松さんのバレー人生の恩人がお父様なのですね。

そう…ですね。でも、僕がバレーやめる理由を作ったのも父だったんですよ。

――え? どういうことですか?

小学校6年生のときに、僕のチームメイトに170cmある子がいたんですよ。僕はその当時はまだ小さくて、150cm台の後半くらい。うまいわけでもなく、ジャンプも高いわけじゃなく、体もひょろひょろだったので。

――ええーっ、これまた現在のマッチョなイメージと全然違いますよね。

本当に、ガリガリでした。「ザ・ヒョロヒョロ」って感じです。女みたいな顔してたし、今のマッチョなイメージとは全く違いますね。それで、県の大会だったかな? 行く途中のバスの中で、その背の高い子が帯刀くんというんですけど、父が「おい、帯刀。お前は今日の一本目、ネットにぶち込んでもアウトにしてでもいい、とにかく全力で打て!」と。あ、父が僕のチームの監督だったんです。で、「おー、じゃあお父さんは僕にどんなアドバイスをくれるんだろう」ってワクワクして待っていたら、「卓也、お前は一本目どんなボールが来てもフェイントをしろ」って言われて、「あー、そうなんだ。僕のバレーボールに対する評価はそんなもんなんだ」と感じて、これはちょっとバレーボールやめ時かなと思ってやめたんです。始めたのは小学校3年のとき。でも再開して本当に良かった。

ここまで来るのには、いろんな人との出会いがあって来れたので、続けていてよかったなと思います。

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