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バレーボールマガジン>インタビュー>越境バレーボーラー・梅野聡【前編】人生が楽しくなってしょうがない!(笑)

インタビュー

2018-02-01 08:00 追加

越境バレーボーラー・梅野聡【前編】人生が楽しくなってしょうがない!(笑)

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今季ヒュルテ・ハルムスタッドでプレーする梅野選手

――海外へと移籍しようとしたきっかけは何かあるのですか?

今村(駿)さんが去年こっちに移籍してて、活躍してたのを知ってたんです。僕が移籍したいなと考え出したのが昨季の10月くらいで、今村さんが始まってまだちょっとしたくらい。今村さんが順調にやってたのを知ってたんで、まず今村さんに連絡して、どんな感じですか?と聞きました。

――昨季10月の時点でですか?

いや、10月の時点でちょっと考え始めたので、11月にいろんな人のつてを使って。もともと僕は(今村さんの)連絡先を知らなかったので誰かに聞いて連絡して、で、チームに言ったのが1月の頭くらい。なんで、凄く遅いしチームに迷惑をかけるので、ものすごくすいませんって言いました。1月なんで、もう大学生取れないじゃないじゃないですか。インカレ終わって、もう決まってるので。ものすごくチームに迷惑かけるのも重々分かった上で、監督に伝えに行きました。

――監督はどういう反応でしたか?

監督はですね、僕が悩んでいたのを分かってました。人の心読むのは上手いんで、そういうのも気付いてたみたいで。行った時も、昔、僕と同じような境遇の人が辞めてった話をしてたんで、おまえはそいつみたいだ、と言われました。

――そこで決定したんですか?

12月の終わりにエージェントの方にお願いしました。その際、日本人だから時間がかかるよって言われてたんです。セッターで、背が小さくて、ナショナルチームも入ってなくて、で、初めての海外経験だと獲る方もすごくリスクが高いから、多分決まるとなってもホントギリギリだろうと。海外って8月からシーズンインなんですけど、7月の終わり最後の週くらいに決まる可能性が高いよ、って言われてたんです。だけど僕の場合6月の頭に、ペラ(昨季豊田合成のコーチのスウェーデン人ペールエリック・ダルクヴィスト)の方に話が言って、で、(今季このチームの監督をやることになった)ペラが獲ってくれたっていうわけです。その時は、ホントについてるって感じでしたね。

正直やめるって決めた時も「何とかなるやろ」みたいな凄くポジティブな気持ちで、どうしようっていうのはなかったんです。こんだけ世界にバレーチームがあるんだったら、一個ぐらい来るやろみたいな。そういうスタート切ってるんで、全然窮屈な気持ちを抱くことがなかったです。その辺ぐらいから自分の気持ち的にも変化がありました。東レにいた時はすごく練習するのもいやだったり、練習に行くのもいやだったりしたんですけど、自分が決めて進みだしてからは、進んでいろんなことに挑戦できるようになりました。

――最初からスウェーデンにしようと決めていたわけではないんですね。

僕はどこでもお願いしますと。行けたらどこでもいいです、でもヨーロッパの方がいいですみたいな…なるべくヨーロッパ。だけど、最悪、違うとこでもっていう感じでした。僕が選べる立場じゃないのは分かってたんで。

――ヨーロッパがいいというのは何か理由があったんですか?

一応、奥さんもいるんで、あんまり治安の悪いとこには行きたくなかったんです。僕去年の5月に結婚式あげたんですけど、奥さんすごく英語が上手なんですよ、ペラペラなんです。なので、奥さんがいてこそ、海外へ…と。奥さんのおかげで僕は人生が変わっちゃったんです。一人じゃいけないじゃないですか、英語できないし。

――もし奥さんと結婚してなかったら海外に移籍していなかったですか?

できないですね。でも、今村さんとかもそれに近いんじゃないかな?奥さんが海外でやられてたじゃないですか、だから選択肢が広がったんじゃないかと。人との出会いが、もの凄く人に影響を与えるんだなって思います。日本にいたら、すごく凝り固まった考えで、バレーボールはこうあるべきだとか、そういうのが凄くあったんですけど、こっちはそういうのが全然なくて、(スウェーデンリーグは)日本ほど強くはないですけど、なんか人として自由にやってます。日本って練習の準備をするのって下の子がやるじゃないですか、こっちはそういうのがまずないんですよ。上下関係ないんです。あそこにいるフィリップはナショナルチームでキャプテンやってるんですけど、あいつが練習の半分くらいの日数は、ネット立ててるんですよ。今までの固定観念が間違ってる、人によって国によって全く違うっていうのに気づきました。今まで一つのことに凝り固まってこうじゃないとだめだ、ああできないと使ってもらえないんだっていうのが、もう、まるっきり変わりましたね。なので、人生が楽しくなってしょうがない(笑)。すごく気が楽になりました。

――バレーボールだけではなくてですか?

バレーボールだけじゃなくて、すべての私生活からまるっきり変わりました。ホントに。もう、今ではネガティブでもなんでもないし。ま、でも、試合に出れてるっていうが大きいのかなとも思いますけど。やっぱり違いますね、日本にいた時とは。全く違います。

――プレーを見てても、感情を思いきり表したり楽しそうですね。

楽しいですね! やっぱり。ペラとの出会いが本当に大きいです。豊田合成のころから、キッチリとしたチーム作りをされてたじゃないですか。アンディッシュの下で。アンディッシュと全く同じ考えを持ってるんですよ。そこまで一緒かっていうくらい。で、いざペラの持ってる知識に触れてみると、日本じゃ当たり前だったのが、ペラの言うことでは当たり前じゃなくて、ペラの言うことをやったら、意外としっくりくる。

――例えばどんなことですか?

セットアップするときに僕は右足で入るっていうか、今まで右の方が軸だったんです。なんでかっていうと、結局右から飛ぶじゃないですか。だけどペラに「こっち側(左足)が向けばもっと安定していくよ」って言われてやったんですよ。そしたら、全然ぶれなくなったんです、トスが。そういういろいろ細かいことがあるんです、衝撃なことが。それをやって自分のプレーの質が変わったのが分かるんですよね。今までそれが僕はなかったんです、日本にいる間には。高校生とか大学生の時はあったのかもしれないですけど。今こっちに来て新しいものを僕に提供してくれてる、しかも熱い指導で。ホント一生懸命教えてくれるんですよ。

日本で企業に入ったら、結構自分でやらなきゃいけないのが強いじゃないですか。でも、ここのチームの選手、若くてナショナルチームの選手も結構いるんです。だからペラも一生懸命教えなきゃいけないんですよね。真剣に教えてるから、それにこたえようしてみんな変わってく。指導者に熱がないと伝わるじゃないですか。日本の場合は既にできたものが大きくて、それは崩したくないとか我を持った人が多い。トップの企業はトップの選手が入ってくるから。そしてなかなか変われないっていうのが多いんで、そういうところも大分違うのかなと思いますね。ホント感謝、感謝しかないですね。今の僕がこうやってやれているのは、いろんな人との出会い。だからいろんな人としゃべりたいなって思うようになりました。今まですごく人としゃべるのが嫌だったんです、初対面の人とか。でも僕の人生変わったのは人と接することで変わったんで、だから初対面でも怯まなくなりましたね(笑)。前に比べると。

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