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インタビュー

2019-03-12 16:56 追加

カジースキからのお便り 日本復帰もあり得る?「機会があれば前向きに」

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2018年5月6日、黒鷲旗決勝でのカジースキ

――昨年5月の黒鷲旗を最後に、日本を離れました。離れた理由はなんだったでしょうか? 欧州のトップレベルのリーグが恋しくなったからでしょうか? 奥様とお子さんのことを考えて?ジェイテクトと契約延長のオファーが合意しなかったからでしょうか?

カジースキ:ジェイテクトから契約延長のオファーはありましたし、契約更新も検討しましたが、他での新しい刺激が必要でした。ポーランドに行ったこともなかったし、私にとって新しいリーグでもありましたのでとにかく別な新しい経験をしたかった。

――昨年5月の黒鷲旗で、足を負傷していたにも関わらず、決勝に出場しました。「(スパイクジャンプの際に)逆の足で着地していた」とあなたが笑って話していたのを覚えています。なぜ、そこまで無理して出場したのでしょうか? あの時点ですでにジェイテクトの退団を決めていて、ジェイテクトで優勝できる最後のチャンスだからかと思いました。(カジースキは、それまで過去所属チーム全てで優勝を経験している)

カジースキ:いや、あの時点ではまだジェイテクトに残る可能性はありました。会社(ジェイテクト)にはもう少し考える必要があると伝え、ポーランドチームのプロジェクトも同時に検討していました。

――日本での3シーズンはどうだったでしょうか?良い思い出もあると思うし、ストレスが溜まることもあったと思います。それぞれ教えてください。

カジースキ:日本では素晴らしい3年を過ごしました。一番ストレスが溜まったのは2015年天皇杯で大学生相手(東海大学)に敗退したことです。日本でのバレーボール人生で一番難しい時期でもあり衝撃的でした。ただし、そのシーズンは黒鷲旗の決勝まで進むこともできて、なんとか難しい時期を乗り越えることができました。良い思い出についてはコートの中でどんな困難な状況でもチーム一丸となって戦ったことと、一戦一戦につれチームが成長していったことです。

――愛知県の生活、日本の生活はどうでしたか?

カジースキ:日本での生活はすごく気に入りました。一年目は活気のある名古屋住まいでして、(練習場のある)刈谷まで通うことがストレスになっていました。2年目以降は刈谷に引っ越し、すごく住みやすい静かな町でした。体育館も自宅から近くてとても恵まれていた環境でした。ただし名古屋に比べてしまうと、活気はなかったです。

――ジェイテクトでの、あなたにとって印象的な試合はありますか?

カジースキ:ジェイテクトでの印象的な試合は2018年黒鷲旗の準決勝です。準決勝は怪我で欠場してしまいましたが、確かジェイテクトでプレーした3年で唯一欠場した試合だったと思います。難しい状況の中FC東京戦を迎えましたが、チームの活躍によって決勝まで進むことができました。決勝戦では強豪チームのパナソニック相手に敗れましたが全員がコートですべてを出し切ったと思います。決勝も素晴らしい試合でした。

――ジェイテクトのチームメイトたちで、良い選手だと思った選手は誰ですか?

カジースキ:良い選手はたくさんいましたが一番気に入っていた選手は古田(史郎)です! 彼の移籍(ヴォレアス北海道)が決まった時はチームにとって大きな損失だった。当時のチームは強くて、お互い良い関係を築くことができました。セッターの高橋(慎治、現監督)もよい選手でしたし、彼の穴を埋めた久保山(尚)もよくやったと思います。

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