2015-08-10 14:41 追加
東京五輪の星たち ブロックソム・ジョエル
東京五輪の星たち第2回
SV男子
東京五輪での活躍が期待される選手を取り上げる「東京五輪の星たち」。今回は、パナソニックパンサーズのブロックソム・樹・ジョエル選手です。
――まず、プロフィールを教えてください。
ジョエル・樹・ブロックソム(以下ジョエル)バレーを始めたのは15歳の時です。ずっとそれまではバスケットボールを主体としてやっていました。国際学校に通っていて、国際学校は季節ごとにスポーツが変わっていきます。サッカー、バレー、バスケ、野球と変わっていくのですが、中学校3年生になるまでには4つとも全てのスポーツをやっていました。でもその中でもバレーボールにもう少し力を入れたくなり、高校からバスケットボールとバレーボールの二つに絞りました。この二つを並行してずっとやっていて、バスケットボールのシーズン中はバスケットボールが土曜日の夜に終わって、夜からバレーボールの練習に行っていました。
――結構ハードだったんですね。
ジョエル ハードですね(笑)。このような感じでやっていました。でも学校でバレーボールをやらないシーズンは、1年間で3か月しかないので、土日にクラブチーム、地域リーグのチームでバレーボールをしていました。
――NBKドリーマーズでやっていたのですよね。
ジョエル はい。そうです。
――紹介されて?
ジョエル まず“関義範”さんを紹介して頂きました。その方が、バレーが大好きな方で、たくさんのクラブチームに所属しており、その中から3つくらいのチームに同時に所属していました。
――3つ?!
ジョエル はい。バレー大好きな方で、色んなバレーボールができる環境所に連れて行ってもらいました。その中で佛教大学などにお世話になりました。佛教大学は、9人制バレーボールのチームで、バレーボールができる所ならNBKだけにこだわらず、全部のチームに行っていました。その方に出会ったきっかけは、父が僕に「バレーしたいか?」って聞いてきた際に「もっと頑張ってしたい」と答えたら、父がクラブ連盟にチームを紹介してくださいと頼んでくれました。そしたらクラブ連盟の方が関さんを紹介して頂いて、そこからバレーボール関係者の方と知り合っていきました。
――お父様はバレーをされていたの?
ジョエル やっていないです。けど好きですよ。父と母は全くスポーツをやって来てないですが、父がすごくバレーが好きだったので「やったら?」みたいな感じで。ちなみに僕は海外へ行きたいという夢がありました。でも「バスケじゃ、たぶん黒人じゃないから(海外でトップレベルを狙うのは)無理なんじゃないか?」って言われて。そういった理由で、16歳の時に海外で活躍出来る選手になりたいと思ってバレーにしました。
――大学はアメリカへ。アメリカでもバレーをしていたのですか?
ジョエル はい。
――アメリカのバレーと日本のバレーの違いっていうのは?
ジョエル 本当に全く違います。特に日本は上下関係がありますが、アメリカは上下関係があまりなくて、監督を下の名前で呼んでいます。日本で言うと僕が川村さんに「おいシンジ」っていうような感じです。そんな絶対あり得ませんよね(笑)。今(例として)言っただけで怖いぐらいですけどね。あと、アメリカの指導は褒めて伸ばす文化、特にバレーボールなどスポーツは。日本は怒って伸ばす指導方法ですよね。まずそういった点が大きな違いでした。
あとアメリカはブロックとサーブ、アタックに重点を置いている。日本は逆にディフェンスとディグにすごい重点を置いている。そのような点が違うなぁとか、パスの獲り方ひとつでもアメリカで指導してもらったのと、日本で指導してもらったのと違いなどががありました。
――どんなふうに違うんですか?
ジョエル アメリカは絶対3枚レシーブ。日本の場合フローターは2枚レシーブ。アメリカでは足は動かすなと言われていました。3枚レシーブだったので腕だけでレシーブしていました。だけど日本は2枚レシーブなので足が動く選手じゃないといけない点などアメリカと日本のそういった指導の違いですよね。
――一昨年、ゲーリーさんが体の外でとるんだって言われて、日本の選手はすごく戸惑ったと聞きました。それと逆のことを感じてらっしゃるんですね。
ジョエル 本当にちょっとした考え方だと思うんですが、何十年もバレーボールをやってきた選手は戸惑ったと思います。
――パナソニックに入団したきっかけは。
ジョエル 高校を卒業してすぐに豊田合成さんでお世話になりました。それも自分からお願いして練習混ぜてもらって。嬉しい事だったんですけど。
――もともと将来はバレーを職業としてやろうと?
ジョエル はい。15歳の時にこれから頑張ってバレーボールをやるんだったら、将来プロ選手になろうと思って。性格的にもそういった将来が見えていないと意味を感じない性格なので。楽しいからだけでやれないんです。それで、合成さんでアメリカに行く前4、5カ月のあいだお世話になりました。アメリカは9月留学なので期間があったので、それでアメリカに行ってUCLA大学に最初通っていました。それから途中で転校しました。
UCLA大学の監督がアルスケーツさんという方でアメリカではすごく名前の通っている監督です。その方がパナソニックをロスに呼んで合宿を行いました。日本にもおそらく来日した事があって、それで(パナソニックの前監督の)南部さんが知っていたんですね。
夏休みの間アメリカは完全に休業なんです。チームとして活動することが無い。オンとオフがすごいはっきりしています。夏休みの間練習しないといけないと思って、日本にも帰りたいと思っていました。でも合成さんは家から遠い。実家が京都なのですが、家から通えて練習ができる企業、強いチームという我儘な発想から始まって。アルスケーツさんにパナソニックさんに僕を練習に行かせてくれとお願いして。で、ご縁があったので夏に練習させてもらい転校してパナソニックさんに行ったら来年も夏も来いよって言っていただけたので、それで2年間夏休みだけお世話になりました。卒業するときに、「どうしましょう?」っていう話になったら、「うちで獲ってあげるよ」って。
――川村監督の印象は?
ジョエル 夏休みの間ずっと一緒にバレーをしてきた方なので、短い間でしたが、昔から川村さんみたいな選手になりたいって思っていました。なんでも出来ると言うか、パスも安定していてスパイクもすごい頭良くて、サーブもすごくて。福澤さんとかのように、フィジカルのアビリティが飛び抜けているというわけじゃない。川村さんは高く飛ぶとかスパイクが速い選手とかではないですが、頭を使った誰もが憧れる選手ではないかと思います。僕も安定感があって、頭を使った選手になりたいなとすごく思っています。川村さんと一緒にプレイしていてそれを真似できないと言うのは悔しいですけど、それを見て真似をしています。本当に、川村さんのようになりたいと思います。すごく尊敬しています。
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