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インタビュー

2017-02-09 08:00 追加

眞鍋政義「今後日本が世界で勝つ為には、同じ土俵の上に乗らないと。だからプロ化はやらないといけない」

眞鍋政義氏インタビュー

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smanabe1前全日本女子監督であり、12月1日にヴィクトリーナ姫路のGMに就任した眞鍋政義さんにプロ化について、またヴィクトリーナ姫路のヴィジョンなどを伺いました。

 

――眞鍋さんは、海外でプレーした男子選手の先駆けの存在だと思いますが、海外のリーグはプロリーグですよね。プロと企業の違いについてなど、お聞かせいただけますか。

眞鍋:私がプロになった最初のきっかけは新日鐵時代、田中幹保さんが監督の時に第1回世界クラブ選手権をイタリアで経験したことです。25歳くらいでしたでしょうか。結果新日鐵は5位。通常ベストセッター賞は優勝したチームから選ばれ、ベストスパイカー、ベストサーバー等は決定率が数字に出るので、その結果で選出されていました。その時5位という結果にも拘らず、私がトスを上げたアタッカーの決定率が高かったためベストセッターに選ばれました。ベストセッター賞をいただいたお陰で、すぐに現地のチームからオファーをいただきました。金額は確か当時で2,500万~3,000万くらいだったと思います。

しかしその時は、全く海外へ行く気がありませんでした。終身雇用が当たり前の時代でしたから。でも、自分の評価を生まれて初めて明確にされて、驚きながらも嬉しかったのを覚えています。

それから約5年後、30歳の時、私は新日鐵のプレーイングマネージャー(監督兼選手)という立場になっていました。日本リーグからVリーグに変わり、外国人選手の登録が可能になったことにより、世界のエージェントと話をする機会も増えました。すると、新日鐵の選手を獲る話をしているのに、反対に「眞鍋が来いよ」といつも言われていました。6年くらいずっと誘ってもらっていたと思います。初めは「行けるチャンスがあれば、行きたいな」と思っていましたが、監督兼任の立場。チームを離れる訳にはいきませんでした。

新日鐵の監督を6年間続け、そろそろ監督を退こうと思い始めた頃、海外でプレーをするという夢が現実味を帯びてきました。年齢的にも最後の挑戦、「プロとしてプレーするならこれが最後のチャンスだ」と、36歳でプロ契約を決心しました。でも家族は、新日鐵を退社し海外でプロ契約をすることに大反対しました。当然ですよね、幼い子供が3人もいるのに、60歳まで安定が約束されている新日鐵という大企業を退社するなんて。でも、36歳の自分に世界のビッククラブからオファー。最後のチャンスと家族を説得しました。そしてイタリアでプレーしたことで、バレーボールに対する意識も変わり、その後のバレー人生にも大きく影響しました。

現在日本以外の国は全部プロチームで、指導者もプロです。なぜいつも私が「日本もプロ化が必要だ」と言うかといいますと、世界のバレーを男女ともにここ30年ずっと見て勉強してきましたが、まずメンタリティが全く違います。

プロフェッショナルとアマチュアの違いは、プロは結果が全てで、生活がかかっています。15歳だろうが45歳だろうが、チームが勝つために最善を尽くして結果を出さなければなりません。それが自分の年俸に跳ね返り、自国に帰って代表に選ばれる。そして活躍するとビッグクラブからオファーが来る。その好循環になっているのですよ。今、最高で3億円くらいの年俸でしょうか。そのためトレーニングや栄養面など、自己管理力も身に付きます。

しかし、日本の選手たちはリーグで勝っても負けても世界から比べるとそれほど大きな影響がありません。そんな日本の選手と、生活が懸かっている海外の選手、双方が最終的に五輪や世界選手権でネットを挟んだ時、メンタリティが全く違うので、どう考えても不利です。

日本のシステムは企業スポーツです。昔はそれでよかったと思いますが、時代の変化とともに企業スポーツも変わってきました。今後、日本男女のバレーボールが五輪、世界選手権、ワールドカップで表彰台にのぼるためには、プロ化は避けられないことだと考えます。他の競技を見てもサッカー、バスケットがプロ化し、体操も内村選手がプロ契約しましたよね。間違いなくバレーボール界もプロとして地域と密着し盛り上げていくことが必須だと思います。

s15japan_w00329――ご自分がプレイヤーとして、また監督として経験してそう思うのでしょうか?

眞鍋:素直にそうです。企業などは反対するかもしれません。改革って、間違いなく反対を生むんですよ。僕だって代表監督の時に、分業コーチ制は皆さんから「そんなの通用しない」って反対されました。でも最終的に分業制のコーチは成功したと思います。チームジャパンとして、コーチ一人一人が責任感をもって同じ温度でやれたので、一致団結したと思います。

――ヴィクトリーナ姫路のヴィジョンをお聞かせいただけますか。

眞鍋:竹下(佳江)が6月に監督に就任して、プロチーム宣言しました。姫路というのは、たまたま私の出身地なので、地域の皆さんとかいろいろな人に話を聞いてみたんです。すると、姫路というところは、バレーボール人口が本当に多い。もうひとつは熱。熱い方が多いんです。しかもバレーボール代表監督が3人も出ています。中村祐造さん、田中幹保さん、私。そんな都市、他にはまずない。それぐらいバレーボール熱があるんです。その熱い姫路から、まずスーパーリーグに地域密着型チームとして参戦したいと思っています。Vリーグに準加盟して、次に加盟。そんなに甘くないのはわかっていますが、最終的な目標は日本一になること。そしてヴィクトリーナ姫路から、選手もスタッフも日本代表へ多く輩出し、オリンピアンを育てたい。それがバレー界の為になる。

また地域貢献という立場からバレーボールに携わる人口も増やしたいです。ここで言うバレーボールに携わるのは、もちろんプレーをする青少年から運営やボラティア、ファンなどいろいろな形でヴィクトリーナを中心にやっていくということです。それがヴィジョンです。

そして姫路には姫路城という世界遺産があります。スポーツと文化を融合し、姫路の皆さんと一緒にチームを、姫路市を盛り上げ、世界に配信していきたいと思っています。

――スーパーリーグに参戦を表明されましたね。ホーム&アウェイ方式で、ホームゲームが8割ないといけないということで、反対もあるようですが。

眞鍋:世界は、どこもホーム&アウェイですよ。

――ホームゲームの割合いが多いのと、専門事業部門をつくるのが大変らしく…。

眞鍋:そこはとても不思議ですね。ホームゲームをたくさんできるというのは選手もスタッフも地域の方にアピールできるということですよ。運営の立場からすれば、大変かも知れませんが試合数が多ければそれだけ次々と色々な企画を考え魅力ある運営を考えていきますよ。そもそも地域スポーツの運営に興味のある人を採用しようとしているので彼らはスポーツ選手と同じようにスポーツを盛り上げること、ファンを獲得することを考えていきます。だからホームゲームが多い方がいいですよ。つまり選手もスタッフも発表する場が多い方がいいんです。

最近はスポーツでも企業でも仕事や役割が細分化されてきてます。そういう意味では今の企業スポーツではなかなかスポーツだけに特化し地域に根付く運営と競技力の強化は難しいのではないかと思うです。昔は福利厚生で「社員の意識が高揚する→社員が頑張る→ご家族が見に行く」というコンセプトでできたかもしれないです。でも世界中のスポーツチームに共通しているのは、ファン一人ひとりのチームとうことじゃないでしょうか。自分のチームと感じてもらえる人を多く作っていかなければならないんです。

野球でも、阪神タイガースや北海道日本ハムなんて、地域密着ですごいんですよ。バスケットでは沖縄の琉球ゴールデンキングス。本当にすごい熱気ですよ。ホームゲームが多いということは、我々にとっては、至って嬉しいことです。それをしようと思うと、仕事が多くなるので嫌なのかもしれませんね。でも僕らはプロですから、一緒にいろんなイベントを考えて、ディズニーランドとかUSJとかのように、リピーターを創意工夫して増やしていく。それは絶対必要だと思います。

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