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バレーボールマガジン>インタビュー>大分三好・石垣公也前主将 引退に寄せて「選手として、出来るのは『その時』しかない」

インタビュー

2018-06-04 12:00 追加

大分三好・石垣公也前主将 引退に寄せて「選手として、出来るのは『その時』しかない」

SV男子 / V男子

取材日はファン感謝祭。紅白戦では紅白両チームでプレー

--差し支えない範囲で、現在の状況と、これから目指していく方向性を教えていただけますでしょうか。

3月いっぱいで三好循環器科を退職して、4月からは(大分の)違う病院に入社して勤めています。
三好循環器科で准看護師として勤務し7年経ちました。ことしから制度が変わって、実務7年で、(正)看護師の通信制の学校に行けるようになったので、新しい病院に入職すると共に、通信制の看護学院に入学して、仕事と勉強を進めています。

--お忙しい日々を送られていますね。ちなみに、高校で看護の勉強をされていたんですよね。

高校はもともと看護科でした。

--看護の仕事を目指していたんですか。

小さい頃から看護師になろう、とかではなかったんですが、高校入試の時に看護師を目指そうとして、ほんとうは5年一貫の高校(3年+専攻科2年)に入りました。ただ、バレーを続けたい、ということで、高校を最初の3年間でやめて大学に進学しました。

--では、大分三好に入った際に、准看護師の資格はお持ちだったんですか。

高校3年で准看護師の受験資格を得ることが出来るんですが、5年のスパン(で最終的に正看護師を目指す)なので、3年では受けないんですよね。なので、大学期間中も、実は資格試験を受けることは出来たんですが、受けられる、ということを自分でも忘れていたので、ずっと取得していなくて。
選手として三好さんに入ると決まったときに、病院だし、(准看護師の)受験資格もあったので、勉強はしていなかったんですが可能性があるという形で受けて、合格出来て、准看護師として勤め始めました。

--しばらくは仕事と勉強が主になるのかとは思いますが、バレーボールには、今後、どのように関わりたいと思っていますか。

指導とかコーチングとかは苦手で、自分がやる、というタイプなので、指導者というか、バレーを教える立場には、ならないと思いますね。選手としてほかのクラブでやるか、といわれると、そこまで、毎週行って、とかではないんですが、三好の9人制の練習に、たまに来させていただいていて、みんなと楽しむ、というような感じで、続けていきたいなと思っています。

--これから、チームに限らず、バレーボールに関わるひとに伝えたいことはありますでしょうか。

バレーボールはチームスポーツですし、チームスポーツの中でも特殊なスポーツだと思うんです。バレーの競技としての魅力を、もっと伝えて欲しいですし、今、日本で、サッカーとか野球とか、動き出して、テレビでどんどん放映されているように、バレーボールも、そんな風な位置づけにしてほしいなと。もっと、人気を出してもらえたら。そこから世界に通用するような選手が出ていってもらえたら、バレーをしていた人からしたら、すごく嬉しいなと思っています。

--ありがとうございました。

石垣 公也(いしがき ひろや)
1988年10月28日生(29歳)
岡山県真庭市出身
落合高校→東亜大学
→大分三好ヴァイセアドラー(2010/11~2017/18)
ポジション ウィングスパイカー
185cm / 79kg

聞き手・写真 出口季里

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