全日本バレー、Vリーグ、大学バレー、高校バレーの最新情報をお届けするバレーボールWebマガジン|バレーボールマガジン


バレーボールマガジン>インタビュー>清水邦広「怪我をしてからの1年は、人生で忘れられない1年になる。改めて応援して下さる方達のありがたさを知り、また感動できるプレーで恩返ししたい」

インタビュー

2019-04-10 08:00 追加

清水邦広「怪我をしてからの1年は、人生で忘れられない1年になる。改めて応援して下さる方達のありがたさを知り、また感動できるプレーで恩返ししたい」

清水邦広インタビュー

SV男子 / 全日本代表 男子

2度めの復帰を果たしたファイナル6最終戦で

パナソニックパンサーズのエース、清水邦広が昨年2月の試合中に負った大怪我から戻ってきた。全治12ヶ月という診断がくだされ、リハビリに励んできた清水。2月の熊本大会で復帰を果たしたものの、感染症を発症し、再度手術を経てリハビリとなった。3月16日のファイナル6最終戦のサントリー戦で、2枚替えでコートに立った。4月7日に行われたファイナル第1戦でも途中出場し、劣勢だったチームの雰囲気を変えるきっかけを作るプレーを見せた。2度の復帰の過程とファイナルへの思い、全日本選出についてをうかがった。

――引退も考えたという昨シーズンの怪我から、2月2日に1回目の復帰した経緯を教えてください。

清水:熊本大会での復帰でしたが、徐々にファイナル6も近づいていましたし、練習ではちょっとずつ慣らしていっていました。あとは試合に出て試合勘を戻していくという状態まで来ていたんです。熊本大会の土曜日に2枚替えで出て、その次の週、大分大会で土日のどちらか1試合にまた出て少しセット数を増やして、2月末のホームゲームでフルに出場するという計画でやっていました。

熊本大会で計画通り2枚替えで出場して、翌週の大分大会の会場練習のときに、強く膝に痛みが出ました。大分大会は、体育館の床がコンクリートの上にタラフレックスだったんです。コンクリートだから痛いのかなと思ったのですが、大事をとって試合には出ずに病院に行ってみようということになりました。病院に行ったら、「感染症になっているから、手術したほうがいい」と診断されました。

――その時はやはりショックでしたか。

清水:ショックはショックでしたけど、どっちかというと腹が立ちました。神様がいるならば…と。でも、腹が立ったことも確かですけど、その分逆に「絶対復帰してやる!」という思いのほうが強くなりました。

感染症なので膝に菌が繁殖してしまって。膝にボルトが入っているのですが、そのボルトに菌が付着していて、疲れが溜まって免疫力が落ちてきたときに菌が炎症を起こしてしまいました。そのボルトを抜いて、膝をよく洗ってもらいました。これで前の状態よりは、感染症になる可能性はずっと低いだろうと言われました。

>> インタビューのページ一覧へ戻る

同じカテゴリの最近の記事

コメント

Sorry, the comment form is closed at this time.

トラックバック