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コラム

2019-07-26 17:00 追加

東京五輪女子バレー開幕まであと1年 火の鳥NIPPONはいかに戦うか 中田久美監督「サーブとサーブレシーブがひとつの鍵になる」

東京五輪女子バレー開幕まで1年

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2019年ネーションズリーグ東京大会にて(写真提供:FIVB)

本日からちょうど1年後の2020年7月26日は、東京オリンピックの女子バレーボール競技初日となります。

中田久美監督は、今年4月に行われた今シーズンの始動会見の中で「オリンピック本番まで時間がない中で、今季は重要なシーズン。すでに出場権を獲得しているというアドバンテージを上手に使いたい」と話しました。ライバルの国々にとってはオリンピック出場権獲得への挑戦の1年となる中、開催国の日本はこの1年をどう有効に使うかが重要になります。

バレーボールがオリンピックの正式競技となったのは1964年の東京オリンピックの時でした。伝説の「東洋の魔女」。「鬼の大松」こと大松博文監督が選手たちを猛練習で鍛え上げ、金メダルを獲得したエピソードはあまりにも有名です。女子バレーはその後、1976年のモントリオール五輪でも「知将」といわれた山田重雄監督のもと、相手チームの詳細なデータ分析により仮想チームを作って練習を行うなど、当時は画期的だったバレースタイルで金メダルを獲得しています。

東京オリンピックの翌年に生まれた中田久美監督は、中学生で家を出て、1984年のロサンゼルスオリンピックに向けて山田監督が設立した少女バレー教室「LAエンジェルス」に入団します。「天才少女」と呼ばれた中田監督はやがて大型セッターに成長し、18歳で出場したロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得。しかし、金メダルを目指していた中田監督にとって、この結果は満足できるものではありませんでした。その後も膝の大怪我を乗り越え、1988年ソウル、1992年バルセロナと3大会連続でオリンピックに出場しましたが、メダルを獲得することはできないまま、中田監督は現役生活にピリオドを打ちます。

女子バレーは眞鍋政義監督のもと、2012年のロンドンオリンピックでロサンゼルス以来28年ぶりの銅メダルを獲得しますが、4年後のリオデジャネイロ大会は5位でメダルには届きませんでした。中田監督が次期全日本女子監督に選出され、就任会見を行ったのはその年の10月。久光製薬スプリングスの監督として、V・プレミアリーグ(当時)の3度の優勝などの実績が評価されてのことでした。
「伝説に残るチームを作りたい」と就任会見で語った中田監督。
初年度の2017年はアジア選手権で金メダルを獲得、攻守の要・新鍋理沙がMVPに輝きました。翌年2018年の世界選手権では、黒後愛、古賀紗理那がエースとして成長した姿を見せます。この大会の優勝チーム・セルビアに勝利するなど、チームは1年ごとに収穫を積み重ねてきました。

中田監督が司令塔として3度経験したオリンピックの舞台に指揮官として立つその日まで、あと1年。
今年は8月に韓国でアジア選手権大会、9月には日本でオリンピックの前哨戦ともいえるワールドカップが開催されます。中田監督は「サーブとサーブレシーブがひとつの鍵になる」と語っています。どんな采配を見せてくれるのか、そして、ニューヒロインは誕生するのか…? 今年も日本女子代表チーム「火の鳥NIPPON」から目が離せません。

写真提供:FIVB


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