2019-09-09 17:00 追加
柳田将洋「石川の言う、”個”の力をつけた選手たちをまとめて、ひとつのベクトルに向けていくのが主将としての僕の役割かな」
全日本代表 男子
リハビリの日々
――それだけに、怪我でのリタイアはつらかったのではないでしょうか。最初はそれほど重症とはわからなかったようですが、どんな段階を経て治療になったのでしょうか?
柳田:最初はクラブとのやり取りの中でトレーナーの判断と医学的根拠がどうなのかというところに僕は疑問を持っていて、ちゃんと診察を受けたいと話しました。そして、検査を受けてみると、自分の感覚が当たっていたと。その後、日本に帰国して治療を受けることになりましたが、そこはスピーディーに判断して下さったのでクラブには感謝しています。
――治療中はどんなメニューをこなしていましたか。
柳田:患部のリハビリとそれ以外の部位のトレーニングというシンプルなやり方です。左足首に加重をかけられない状況だったので、上半身のウエイトトレーニングや、足に負担のかからないバイクだったり、プールだったり。 そういったところで肺活を弱らないようにして時間を費やしていました。
――リハビリ中はどんなことが苦しかったですか。また、どんなことが心の支えでしたか。
柳田:苦しかったというかもどかしかったのはバレーボールができないことでした。僕にとってバレーボールというのは生活なので、自分の中の働き手がいなくなったみたいな、仕事を失ったような感覚でした。ある程度の算段は言われてはいましたが、「この生活がいつまで続くんだろう」と。2か月と言われて、2か月間も働けないなんてと焦りを感じました。そこまでバレーボールから離れるのはバレーを始めてから初めてだったので、それが不安でした。
支えになったのは、一緒にリハビリをした他競技のアスリートの人達との出会いや、家族やリハビリを見てくれたトレーナーの方など、その時期に関わった方々ですね。そういう方々が一人ひとりいたことで支えになっていましたし、今があると思うので、感謝しています。
――他競技のアスリートの方と話をして、参考になった部分などはありましたか?
柳田:僕は骨挫傷でしたが、もっと重い、全治7か月くらいの人もいて、自分が弱音を吐いてる場合ではないなと…。 そういう人たちが1日1日頑張っているのを見ていると、自分はまだまだ甘いなと感じました。今バレーボールができないからといって、競技人生が終わるわけではないんだなとポジティブに考えることができるようになりました。
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