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インタビュー

2021-01-01 14:52 追加

カーテンコール 川村慎二さん(前パナソニック監督)「いつかまた皆さんの前に帰ってきたい」後編

SV男子

決勝の会場には、車椅子に乗った清水も駆けつけた。それも川村の判断だった。
「清水にも来てほしかった。もちろんチームの一員ですからね。病院の先生と連絡をとりながら、できるかできないか、どうしたらいいかを相談して。ミーティングも一緒に出ましたし」。

清水自身は行きたい気持ちと行きたくない気持ちが半々だったというが、目の前で優勝を見て、「来季こそはあそこに自分が立って優勝する」という復帰への思いを強くしたという。

――リーグ優勝というのは国内でも一番大切なタイトルですが、それをやっととったときの気持ちは?

「優勝したらしたであっさりだったなと思います。思うところはいろいろありましたね。
清水の件もあったので、みんなの力で勝てたのは嬉しかったな」。

黒鷲旗は、大竹壱青がオポジットに入って3冠を達成した。
「3冠達成してなにか考えるということはなかったです。次アジアの権利を得て、それを取りに行こうと。黒鷲はシーズンのひとくくり。そのとき考えたのは、次はアジアだなと」。

アジアクラブの出場は、その次のシーズン後となる。その間に、川村は男子Vリーグでは15年ぶりの連覇を成し遂げた。その前の連覇は、あのジルソンベルナルドが君臨したサントリー黄金期が最後だったのである。ただ、川村自身は連覇ということを選手に意識させるような言動はとらなかった。「目の前の1試合を勝て」とだけ。もっとも、周りは当然連覇を口にする。「周りが勝手に言ってましたけど…目の前の1戦1戦を勝っていって、最終的に連覇になっただけです」と謙遜する。だが、15年の間優勝した監督たちも「連覇」を目指さなかったはずはない。それを達成できたのは、やはり偉業といっていいだろう。

思い出に残っている試合はと尋ねると、川村は思案顔になった。「清水選手の復帰戦とか?」と水を向けると、「楽しかったなあ」といらえがあった。「みんなの笑顔がね。それまでも楽しいんですけど、本当にみんな、清水も僕も含めて楽しかったです。嬉しくて泣いてたやつもいましたね。だからそのあと感染症になったときのみんなの落胆は、怪我したときと同じくらいだったと思います。それをもう一度乗り越えて、ファイナルには間に合ってくれた。すごい努力やったと思います」。

グランドファイナルで清水はコートに立ったが、JTに追い上げられてベンチに下がった。
「清水で勝ちたかったんですよ。みんな同じ気持ちですよ。万全じゃないかもしれないけど、最後の1点をとらせてあげたい。チームの柱が清水でしたから。だからとらせてあげたかった。でも勝負事なのでね、しかたなかった」。

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