2021-01-01 14:52 追加
カーテンコール 川村慎二さん(前パナソニック監督)「いつかまた皆さんの前に帰ってきたい」後編
SV男子
この国のリーグで監督になった者が思うことは皆同じだ。少しでも長身の、攻撃力の高いオポジットを外国人で補充して、そこにボールを集めることが優勝の近道だと。それに異を唱えたのが川村だった。クビアクを獲得するときに、こんなエピソードがあった。東レで長らくオポジットを務め、日本を愛したデヤン・ボヨビッチが引退後にエージェントをやろうとしていた。川村はボヨビッチに連絡をとって、誰かいい選手はいない?と聞いた。するとボヨビッチは「クビアクがいるよ」と教えてくれたのだという。クビアクの直接のエージェントは別だったが、今や日本のバレーファンを虜にしているクビアクが日本に来るきっかけを作ったのは、日本バレーをこよなく愛していたボヨビッチの取り持つ縁だったのである。
そして、クビアクとともに日本バレー界に一石を投じた川村。できればもう少しその采配を見ていたかったところだが…。彼が日本バレー界に残したものが、少しでも引き継がれ、広がっていくことを願う。
文責:中西美雁
写真:黒羽白、堀江丈、MAMI
川村慎二(かわむらしんじ)
1978年5月2日生まれ 滋賀県近江八幡市出身
両親のすすめで武佐小学2年(武佐ガッツ)よりバレーボールを始める。
奈良県の菟田野中学に進学し、全国中学生大会、 JOC(さわやか杯)で優勝。大阪商業大学高校で春高2度の準優勝。
全日本ユース代表としてアジアユース準優勝などを経験、大阪商業大学を経て、2001年に松下電器(現パナソニックパンサーズ)に入団した。
2007-2008年Vプレミアリーグ、2008年黒鷲旗大会の優勝に貢献し、最高殊勲選手賞(黒鷲賞)とベスト6に選出。2012年の同大会でも、黒鷲賞とベスト6に輝いた。
2013年にはVプレミアリーグで敢闘賞を受賞。
2014年5月の黒鷲旗大会まで13年間パナソニックでプレーし、直後に同チームの新監督に就任した。6シーズン監督を務め、V・プレミアリーグ(現V.LEAGUE DIVISION1)で優勝2回、準優勝2回の成績を残し、2019-20シーズン終了をもって勇退。Vリーグ連覇は、サントリーサンバーズが5連覇して以来15年ぶり。また、天皇杯・リーグ・黒鷲旗の3冠も果たしている。
同じカテゴリの最近の記事
- パリ五輪代表のリベロ・小島満菜美、アスリーツアンリミテッドで最終週に挑む。「選手も観客もリアクションが大きく、良い雰囲気です」 [Others,全日本代表 女子] / 2024.11.01
- STINGS愛知・関田誠大「やっとチームとして戦っている感じがあり、非常に楽しかった」 SV男子会見 [SV男子] / 2024.10.26
- 東京GB・柳田将洋「自分が地上波でSVリーグの開幕戦を見ているのは不思議な感覚だった」 SV男子 [SV男子] / 2024.10.19
- 群馬グリーンウイングス・白岩蘭奈「たくさんのファンの方々の前でプレーできることが本当にありがたい」 SV女子 [SV女子] / 2024.10.14
- Astemoリヴァーレ茨城・上坂瑠子主将「応援してくださる方々がいるからこそ私たちはバレーができる。持ち味を発揮して、定位置を突破したい」 SV女子 [SV女子] / 2024.10.14
コメント
Sorry, the comment form is closed at this time.