2021-07-13 08:00 追加
髙橋藍の兄・日大主将の髙橋塁「藍の頑張りが自分のモチベーションになっています!」
髙橋塁インタビュー
大学バレー 男子
最年少で東京五輪代表に内定した髙橋藍(日体大2年)は影響を受けた人物として、高校まで同じ道を歩み、現在は日大バレー部で主将を務める兄の塁(日大4年)の名前をよく口にする。そこで、兄の塁に藍の子供時代から大学バレーでの兄弟対決、弟の五輪出場が決まって思うこと、自身の今後のバレー人生についてなどを語ってもらった。
――髙橋家はご兄弟と妹さん(高2)がバレーをしていて、藍選手は塁選手の影響でバレーを始めたそうですが、ご兄弟で全日本の試合を観たりすることは小学生時代からありましたか?
髙橋塁選手(以下、塁):僕がバレーを始めたきっかけが栗原恵さんの全日本でのプレーに惹かれたことだったので、小学生の頃は、全日本の試合やVの試合も兄弟で観戦していました。
――藍選手の記者会見で「小学校高学年の頃、兄が中学に進学し、一緒にできなくなったことからバレーへのモチベーションが下がってしまい、当時は両親が支えてくれた」と言っていたことがあります。その時、塁選手はどんな言葉をかけましたか?
塁:藍は僕がやっているからバレーをやっていました。だから、「無理に続けなくていいし、自分のやりたいことをやればいい」と言ったと思います。
――もうすっかり有名な話になってしまいましたが、中1の時、藍選手はリベロだったそうですね。
塁:僕が中3、藍が中1の時に、全中(全日本中学校バレーボール選手権大会)に出場しました。その時、身長158cmだった藍はリベロをしていて、僕がスパイカーでした。僕が引退した後、藍はスパイカーをしています。
――栗原恵さん以外で中学生くらいまでのご兄弟の憧れの選手は?
塁:僕も藍も、アメリカのアンダーソン選手に憧れていました。
――高校時代も1年間同じチームでしたが、兄弟でコートに立って印象に残っていることは?
塁:藍が調子悪かったら自分が決める、自分が調子悪かったら藍が決めるというスタンスでした。調子の良し悪し、今何をしようとしたか、その時何を考えているかがお互いわかるので、あまりバレーのことを話していた印象はありません。
中学で、1年間一緒にやっていた時よりも遥かに成長していたので、間違いなく自分より凄くなるやろうなとその時は思っていました。
――高校時代、ライバル・洛南の大塚達宣選手(現・早大3年/日本代表)とご兄弟との関係は? 高校時代からコートを離れると仲がよかった?
塁:仲は良かったです。試合でしか会わないので当時、話すタイミングはあまりなかったですが、卒業後、僕は国体でも一緒にプレーをさせていただきましたし、ご飯も食べに行きました。コロナが落ち着いたら藍と3人でご飯に行こうと約束しています。
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