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インタビュー

2022-05-30 08:00 追加

日本バレーボール協会 川合俊一会長インタビュー(前編)「五輪出場そのものよりも、そこに挑むまでの練習とか、過程が大事だった」

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 この時の心境を川合に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「勝てばオリンピック、負けたらオリンピックに行けないという大事な大会。その前のモスクワ(1980年)は日本がボイコットしたけど、男子バレーは出場権を逃していました。そのため、男子バレー界としては絶対に勝たなければならない大会の決勝でした。僕は準決勝まではスタメンでしたが、決勝でスタメンを外れて、ベンチから戦況を見守っていました。1・2セットを連取され、3セット目はシーソーゲーム。そこでベンチから『行くぞ』と言われたのですが、緊張というより、『この局面で20歳の俺か?』と。普通は若手を先発で起用し、ピンチになったらベテランというパターンが多いのに。まだ若かったから、いつもやっているプレーがこの場面でもできたら楽しいなと思いながらコートに入りました。そうしたら絶好調で逆転勝ちしてしまった。運がよかったなと思いましたね。当時僕がやっていた攻撃(斜めに跳んでブロックを交わして打つ「流れ攻撃」や、一人時間差攻撃)を中国が全然ブロックできず、運もタイミングもよかったと思います」

 そして翌年の1984年、川合はロス五輪代表として人生初のオリンピックを大学4年生で経験した。4年後、富士フイルムに所属していた1988年、ソウル五輪代表にも選出され、2大会連続のオリンピック出場となった。オリンピアンになったことは川合にとって、その後の人生にどんな意味をもたらしたのだろう?

1984年ロサンゼルス五輪にて

「メダルが獲得できず、2大会とも残念な大会だったなと。特にロスはプレオリンピック(五輪前に出場国のみで行う大会)でアメリカにフルセットで勝って優勝して、金メダルか銀メダルが狙えると思って臨みました。ところが日本は代表選手2人がドーピング検査で陽性となり、その影響もあってメダルを逃しました。悔しい思いがずっと残っているから、逆にそれをバネにいろいろなことにトライできている。優勝しなかったから、今の自分がいるとも言えるかもしれません。金メダリストだったら、また違った人生を歩んでいたと思うので…。『俺は金メダリストだぜ!』って、すごい威張ってたかもしれないし(笑) 勝っても負けても、すべてのことがその後の人生に影響してくるので、オリンピックに行ったということは人生にかなりの影響を与えている。でも、それよりもそこに挑むまでの練習とか、過程が大事だったと思います」(中編に続く)

取材・文:高井みわ
写真:中崎武志

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