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インタビュー

2022-05-30 08:00 追加

日本バレーボール協会 川合俊一会長インタビュー(前編)「五輪出場そのものよりも、そこに挑むまでの練習とか、過程が大事だった」

JVA 川合俊一会長インタビュー(前編)

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 今年3月に公益財団法人日本バレーボール協会(以下、JVA)の新会長に就任した川合俊一氏に選手時代のことから会長としてのヴィジョンまでを聞くインタビュー。前編では現役時代の五輪予選を兼ねたアジア選手権での活躍とロサンゼルス、ソウルと2度の五輪出場について振り返ってもらった。

ラッキーボーイが誕生したアジア選手権と2度の五輪

 1983年12月1日。第3回アジアバレーボール選手権男子大会の決勝戦、日本対中国の試合が東京体育館にて行われた。当時はアジア選手権が五輪のアジア地区予選を兼ねており、優勝チームが翌年に開催されるロサンゼルス五輪に出場できるという非常に重要な1戦であった。ここで出場権を獲得すれば2大会ぶりの五輪出場となる。

 しかし、その試合で日本は中国に2セットを先取され、苦戦を強いられていた。後がなくなった第3セットは序盤5-5と競り合うが、日本が9-5と抜け出した。10-7の場面で投入されたのが現・日本バレーボール協会会長の川合俊一である。当時は日本体育大学の3年生で、代表入りして、わずか4か月であった。ポジションは異なるが、現在の日本代表・髙橋藍と同じ大学、学年である。

 川合はセンタープレーヤー(現在のミドルブロッカー)で、三橋栄三郎と交代でコートに入った。三橋は類い稀なる技術力を持つ選手であったが、身長は186cmとセンターとしては高さがなかった。当時の中野尚弘監督(故人)はそのポジションに194cmの川合を入れて、ブロック力に懸けたのである。

 エース・田中幹保の活躍で第3セットを15-7で奪取(当時は15点サイドアウト制)すると、続く第4セットから川合は躍動した。期待されたブロックはもちろん、攻撃面でも硬軟織り交ぜて、次々に決めていく。15-3と、それまでの苦戦が嘘のような点差をつけて第4セットを奪った日本は第5セットも15-7で連取。大逆転で金メダルを獲得し、ロス五輪の切符を勝ち取った。ミュンヘン五輪の準決勝・ブルガリア戦を思わせる試合内容だったことから、この試合は「奇跡の大逆転劇再び」といわれ、この年の日本バレー界一番の名勝負とされた。五輪出場権獲得に大きく貢献した川合は「ラッキーボーイ」「シンデレラボーイ」と呼ばれ、人気も急上昇した。

1983年アジア選手権で金メダルを手に。右は2000~2004年に日本代表監督も務めた田中幹保

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