2022-05-31 07:00 追加
日本バレーボール協会 川合俊一会長インタビュー(中編)「現役時代はスポーツ選手もおしゃれに気を配った方がいいと思っていた」
JVA 川合俊一会長インタビュー(中編)
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今年3月に公益財団法人日本バレーボール協会(以下、JVA)の新会長に就任した川合俊一氏に選手時代のことから会長としてのヴィジョンまでを聞くインタビュー。中編では1980年代の男子バレーブームと、インドア引退後のビーチバレー普及活動について語ってもらった。
1980年代の男子バレーブームを振り返る
川合が全日本(日本代表)選手だった1980年代の男子バレー人気はすごかった。会場はいつも満員で、女性ファンの黄色い声援が飛び交う。カメラのフラッシュも禁止されていなかったので、人気選手がサーブを打つ時はいくつものフラッシュが同時に光る。この時代はアイドルやマンガとのコラボなどもなかったが、1985年ワールドカップなどを機に人気は上昇する一方。代表シーズンが終わると、現在のVリーグにあたる日本リーグにも多くの観客が訪れた。プレーオフがなく、総当たりリーグ戦だけで順位を決めていた日本リーグは土日の午後に地上波でも放送されていた。
川合が所属していた富士フイルムはリーグ4連覇を達成するなど、人気だけでなく、実力も圧倒的だった。エースは同期の熊田康則で、大砲でありながら守備もよく、トスも上げられる器用な選手だった。全日本では川合、熊田と、日本鋼管(NKK)に所属していた井上謙(V2女子のルートイン前監督/現・日本バレーボールオリンピアンの会理事長)が人気トリオとしてメディアに取り上げられることが多かった。当時の女子中高生は普段の会話の中にごく普通にバレーボール選手の話題が出てくる。特に川合のファンはどこのクラスにもいる。そんな時代だった。
当時はなぜ、特別な仕掛けもなく男子バレーブームが起こったのか? 川合は言う。
「僕はもともとファッションに興味があったんです。実家がおしゃれにうるさい家で、『ジーパンで外に出るな』と言われて育ったし、スポーツ選手もおしゃれに気を配った方がいいと思っていた。髪型ももちろん気にしていたし、『ジャージで飛行機に乗るなんてダサい』と意見して、移動着を私服にしてほしいとお願いしたりしましたね。そうしたら、『試合で不調だったら許さないぞ!』とか言いながら認めてくれた。洋服は僕らのような大きいサイズは当時の日本ではなかなかなくて、海外に行った時にブランド服を買い込んだりしていました。そうやってみんなが服装に気を配るようになったためか、スポーツメディア以外にもファッション誌や芸能誌などが注目してくれて、僕らを取り上げてくれるようになった。そんな流れだったと思います。当時はデートコースにバレーボール観戦を選んでくれる若いカップルも多かったんです。だから、『カップルの観戦後の食事が美味しくなるように頑張って試合に勝たないと』なんて思いながらプレーしていました」
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