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インタビュー

2023-02-02 17:40 追加

カーテンコール ”ブロックマスター”富松崇彰さん(東レアローズ)「大学でミドルにコンバートしたことは結果としてよかった」前編

富松崇彰さんインタビュー

V1リーグ 男子

元日本代表で東レアローズのミドルブロッカー、富松崇彰が昨季限りで現役を引退した。現在は東レアローズのサポートスタッフとしてチームに残っている。現役時代の思い出などを振り返ってもらった。(取材は2022年4月に行われた)

――初めてバレーを始めたのは。

始めたのは小学校3年生の時に、お兄ちゃんがやってて、僕の友達もやるって言い始めて…お兄ちゃんの影響が一番大きいですね。
学年では多分一番大きかったです。いろんなポジションをやってましたね。レフトからやったり真ん中から打ったりブロック跳んだりとか。レシーブはあんまりうまくなかったかな。どっちかというと打ったりブロックしたりのほうが多かったですね。中学はそのまま地元にいって…地域でやってるバレーボールの皆がそのまま中学校に入るみたいな。中学は僕が入る前とかは全然じゃないですかね。県大会に出たり出なかったりとか。昔僕が入る10年くらい前にNECブルーロケッツにいらした鎌田(修)さんがいたんですけど、その時はちょっと強かったですかね。

――名門東北高校に行かれた経緯は。

JOC選抜に選ばれて、中学校の選抜で優勝して、そのメンバーがそのまま入るみたいな感じだったから、そこだろうなみたいな流れですかね。

――高校時代を振り返ってどうですか。

岡谷の越川優とか、深谷の金子隆行とかに3年生の時は勝つ印象はかなりありましたけど、1年生の時はきつかったです。きつい印象しかなかったです、練習がとにかくきつくて。慣れてないのもありますけど(笑)3年になってやっと勝てるようになって、頑張ったすべての努力が報われるわけじゃないですけど、頑張っただけ良いことがついてきたのかなっていう感じでしたね。

――東海大でミドルにコンバートを?

3年生の秋に積山先生に言われて、ですね。1年生に清水邦広が入ってきて。僕もオポなのかレフトなのかちょっとわからないポジションでやってたんですけど、清水の能力は当時から高いものがあったんで使いたい…となると、ミドルがもう1枚欲しいんだよねってなって。僕は小中高と真ん中でブロックは跳んでたんで、まあブロックは大丈夫かなと。真ん中でレフト跳んで、ブロック開いてっていう。ブロックに関しては何の心配もなくできるけど打つほうがどうかなと少し心配でした。でも、結果的にあそこでミドルになって良かったなと思います。

――ミドルとしては小型だが、大変だったことは。

身長低いですけど、あんまり気になんなかったですかね。小さいから駄目だっていうふうには思わなかった。若い頃はそれなりに跳んでて、高さで負ける感じはあんまり…当時はリーグの外国人選手も今の外国人選手ほど高くなかったですし。今の外国人選手だったらきついなって思ってたかもしれませんね(笑)「どうしようもねえな」って感じはあんまりなかったです。

――2006年に黒鷲で東海大として準優勝。大学の4年間は。

4年生の時は比較的覚えてますね。黒鷲は東レが相手で。トーナメントあがったら、大商大とやって組み合わせがよくて。あんまり企業とやってないかな。何としても優勝…勝つっていうのをコンセプトに皆でやってて、東日本と黒鷲を除いて全部優勝してるんで、ひとつ時代を作ったかなって感じでしたね。

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