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インタビュー

2014-07-22 12:57 追加

川村慎二 パナソニックの、生命線。

SV男子

ごく私的な後悔
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川村と全日本――これに関して私が大きく悔やんでいる事が一つある。2002年のアジア大会の前に、川村は全日本Bチームの候補に選ばれたことがあった。Bチームの監督だった大古誠司に、「川村君ってどうですか?」と質問をして、返ってきた答えはこうだった。「あの子はね、すごく気持ちの優しいいい子なんだよ。だけど、スパイクの通過点が低い。だから国際的には通用しない。残念だけどね」。そうなのか、と私は納得し、それ以降彼を自分の関心の外に追いやってしまった。私の中では、特にその当時は、やはり全日本が中心という気持ちが強く、喪われたバレー王国である日本を再び強くしてくれる選手を追い求めていたからだ。もっとも「すごく気持ちの優しいいい子」というのは眉唾だと思ったのだけど。なぜなら、トップリーグにまで残って結果を出している選手で、ただの「すごく気持ちの優しいいい子」がいるはずがないというのは、まだ経験の浅かったスポーツライターの私でもうっすらと分かっていた事実だったから。

だが、川村はそれから10年後の2012年、自身の最高到達点を更新したのだという。前年まで325㎝しかなかったのが、33歳で333㎝まで伸びた。彼は自分の弱点をきちんと把握し、そこであきらめず、年齢を言い訳にすることもせず、愚直に努力を継続してきたのだった。2011年のワールドカップ前と2012年の黒鷲後、川村は元チームメイトだった全日本女子監督・眞鍋政義の要請で、全日本女子チームの練習スタッフに参加している。そして全日本女子はロンドン五輪で銅メダルを獲得した。このことがおそらく彼の中の何かに火を付けたのだろう。

川村は、リオ五輪の年に北京五輪の時の荻野正二と同じ年になることを踏まえ、リオ五輪出場を目指すことを決意していた。今回の監督就任の際にも、現役をどうしても続けたくて、何度も固辞したらしい。リオを目指したいからという言葉も口にした。「そんなこと言うても、お前、全日本に選ばれてへんやんけ」と言われても「現役を続けていれば、何があるか分からないから」と。36歳まで一線で活躍する選手から一足飛びに監督という、傍から見ればうらやむような昇進の道を棒に振ってもよいと思うほど、彼は全日本に、五輪出場に賭けていたのだ。

今、いやここ数年の間、日の丸を付けて戦っている選手達に、これほどまでに代表への、オリンピックへの強い思いはあるのだろうか。越川優主将が口を酸っぱくして今の代表メンバーに自覚させようとしている「日の丸を付けて戦うことの重み、誇り」を、彼なら痛いほどに持っていたというのに。

昨年までの、2010年以降の全日本男子は、見るのが苦痛だった。それは、何年も代わり映えのしないメンバーで、プレイも彼ら自身のピークを過ぎて衰えているのが手に取るように分かり、黒星ばかりが積み上がり、しかも試合内容が悪すぎたから。「気持ち」だけでは戦えないことは百も承知だが、「気持ち」がなければ格下の相手にだって負ける。それが勝負というものだろう。ここ数年の全日本男子は「戦う集団」ではなさすぎた。
最後の1点どころか、試合の中盤くらいですでに戦うことをあきらめている姿を何度も見せられた。世界選手権アジア最終予選の韓国戦は、まるで狩り場だった。韓国代表というハンターが、全日本男子を易々と組み伏せるための。

川村のスパイクの通過点は、通常ならジャンプ力のピークである20代前半の頃から近年まで、確かにあまり高くはなかった。けれど、大古のその一言だけで彼に注目するのをやめてしまったのは大きな誤りだった。私は彼のラストシーズンに、ようやくそのことに気づいたのだった。

fragment-あるべきだったかけら

今年1月に図書館で過去のバレー専門誌を何冊か借りて、偶然見つけた川村の記事の中にあった「リオを目指す」という宣言は、春高で見た石川祐希が、前評判通りの逸材だったことをこの目で確かめられたことと同じくして、私にとって全日本男子に関する大きな明るいトピックスだった。なぜなら、日本バレー史上初めて、全日本女子が五輪出場権を失ったあと、次の監督はそれまでずっと全日本に呼ばれていなかった大ベテランと、高校生を含むごく若い選手を招集してチームを活性化させ、再び五輪出場権を手にしたし、その次の五輪でも、今度は全日本男子の監督が、やはりずっと全日本に呼ばれていなかった大ベテランと、高校を卒業してすぐに実業団入りした少年を中心として新しいチームを作り、16年ぶりに五輪出場権を獲得したではないか。今回その大ベテランの役割ができるのは、川村慎二しかいない。自分よりも能力の高い、エゴの強い多くの全日本メンバーを複数回にわたって主将としてまとめ上げ、2008、2012の黒鷲賞とV・プレミアリーグ2012/13シーズンおよび第62回黒鷲旗で敢闘賞を受賞した活躍振りを正当に評価したならば。

しかし。2012年度、全日本監督の決定は遅れに遅れた。私は一度何かの記事を書くために、10月頃にいつ全日本監督が決まるのかを問い合わせたが、回答は「11月末までには。遅くても年末には」とのことだった。しかしご存じの通り11月末どころか、リーグがとうに始まり、年が明けても監督が誰になるかは、はっきりしないままだった。初の外国人監督・ゲーリー・サトウ氏に“内定”したのはようやく2月18日。海外在住だったこともあり、リーグの視察はセミファイナルからで、あとはもっぱらビデオでの分析となった。しかも、2013年度の全日本候補はゲーリーではなく、協会が選定したメンバーだった。川村の名はそこになかった。おそらくは、過去全日本の経験がないことと、年齢を理由として。

日本が参加するようになって初めて世界選手権の出場権を失い、グランドチャンピオンズカップも全敗してゲーリーは更迭された。川村の所属するパナソニックで長年監督をつとめてきた南部正司が、代わりに全日本の監督に就任した。私はここで「あるいは」と希望をつないだ。しかし、ゲーリーが更迭された大きな理由の一つが「東京五輪開催が決まったこと」にあったので、その一方で「どうしてもリオで結果を出さねばならない」という機運よりも、「東京五輪」が重視されることも予想された。果たして、発表された全日本候補のメンバーは大幅に若返りを図っており、またしても川村の名はそこになかった。いや、ある意味ではそれ以上のサプライズが黒鷲決勝後に待っていたのだが。

中垣内祐一以来プレミアでは10年ぶりの、現役引退から間を置かずしての監督就任である。しかも中垣内は現役時代晩年はコーチ兼任だったが、川村はそれもない。本当のサプライズ人事だった。その証拠に、弊サイトのアクセスランキングで、川村監督就任の記事は、1週間連続してトップであり続けた。松田明彦の日立監督就任や、ジルソン・ベルナルドのサントリー監督就任の記事などですら一度もトップにはならなかったのに、である。

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