全日本バレー、Vリーグ、大学バレー、高校バレーの最新情報をお届けするバレーボールWebマガジン|バレーボールマガジン


バレーボールマガジン>インタビュー>川村慎二 パナソニックの、生命線。

インタビュー

2014-07-22 12:57 追加

川村慎二 パナソニックの、生命線。

V1リーグ 男子

だが本当にこれで良かったのだろうか。2014年のワールドリーグで、守備的アタッカーとしての役割を期待されて選抜された選手が、レセプションをぼろぼろに崩されたり、他の選手たちが頑張って頑張ってつないだ三本目を、いとも簡単に高いブロックに真正直に打ち付けるのを何度も、何試合も見て、改めて川村がここにいればどうしただろう、と思った。

しかし、すでに南部ジャパンの賽は投げられた。ルビコン河は渡ってしまったのだ。岡谷工業時代以来のキャプテンという越川新主将のもとで、なるべく多くの新しい世代を育成しながら舵取りをしていくしかない。そして川村には川村の受け入れるべき運命が待ち受けている。常勝軍団であるパナソニックの名をさらに高めてゆくという難題が。

10年前のリーグ総括記事より。今とあまり変わらない。

10年前のリーグ総括記事より。今とあまり変わらない。

先日、壊れたとばかり思っていた古い外部ハードディスクが、電源コードを替えたら正常に動くことが分かったので、昔自分が書いた記事を発掘する作業にしばらく没頭していた。すると、ちょうど10年ほど前のVリーグの総括で、私は松下電器の担当をしていた。もちろん話題の中心は山本隆弘だったのだけれども、そこで私はちゃんと川村のことを写真入りで紹介していたのだった。いわく、「安定したサーブ力とレシーブ力を誇り、また、高さはないがテクニカルなスパイクで巧みに得点を重ね、スタメンの座を岸本一馬から奪い返した。若いが堅実な仕事ぶりの職人」と。“偉い人”に聞いた寸評よりも、自分の目で見たものを信じれば良かったのだ。大体あのとき大古に「川村君はどうですか?」と聞いたこと自体、川村に何か引っかかるところがあったからこそだったろうに。

ブレイクスルー

もっとも、悔やんでばかりいても仕方ないので、考え方を変えることにした。私は、「彼のラストシーズンに、間に合うことができた」のだと。もともとリーグは都内の試合だけを見るつもりだったのが、どんどん観戦の数を増やして、終盤は全試合を観てしまった。黒鷲は例年全日観戦しているが、昨年に引き続きパナソニックを中心に見ることになった。つまり、彼の花道を余すことなく享受できたということだ。それも、何らかの巡り合わせだったのだろう。

それに、今回の取材で、大古とのやりとりから、私が彼に惹かれた2013年の黒鷲旗の間に、彼自身も何度か転機を迎えて成長していたことがわかった。彼の持ち味の一つである、ブロックがついた時に馬鹿正直に打ちに行くのではなくて、ブロックアウトを狙ったり、リバウンドをとって切り返すチャンスをうかがったりするところは、2008年の黒鷲旗の時に芽生えた「スパイカーはどうしても強打で決めるのが気持ちいいものですが、強打で決めても1点、フェイントで決めても1点、ブロックアウトで決めても1点、リバウンドをとって切り返してとっても1点だと思うようになりました」という気持ちから生まれてきたという。ほとんど同じ言葉を名手・青山繁から聞いたことがある。同じ境地に至るまでには、ブレイクスルーポイントが必要だった。それが2008年の黒鷲旗だったのだ。

オリンピックへの強い思いも、若い頃はそれほどでもなかったのが、だんだんと強くなっていき、特にスタッフとして支えた全日本女子のロンドンでのメダル獲得が大きく影響したのは間違いない。「男子三日会わざれば刮目して見よ」ということわざがあるけれど、3日どころか10年もの時が過ぎる間に、川村も長足の進化を遂げていたのだった。彼のプレイがもう見られないことは、少し、いやかなり残念ではあるが、今後は指導者として、いかにその真理を後続の選手達に伝えていけるかに期待したい。

でもまだ私はかすかな希望を捨てきれないでいる。パナソニックは部の方針で選手兼任監督を認めないようなのだけれど、今年のリーグが始まってパナソニックがピンチに陥った時に、「選手交代俺!」と川村がコートに登場してくれることを。

文責:中西美雁
写真:Michi Isijima、坂本清、久坂真実
編集補助:横幕祐美

インタビュー周辺談話に続く。

>> インタビューのページ一覧へ戻る

同じカテゴリの最近の記事

コメント

Sorry, the comment form is closed at this time.

トラックバック