全日本バレー、Vリーグ、大学バレー、高校バレーの最新情報をお届けするバレーボールWebマガジン|バレーボールマガジン


バレーボールマガジン>インタビュー>加藤陽一 地上の星 第3部APPENDIX編

インタビュー

2014-09-02 12:13 追加

加藤陽一 地上の星 第3部APPENDIX編

V2/V3 男子

_DX_1763のコピー引退記者会見(2014年5月3日)

まず、本日こういう会見をして頂いた毎日新聞社そして大阪府バレーボール協会とお集まりいただいた皆さんに感謝します。

本日、最後の試合になりまして、選手として引退する事を皆さんにお伝えします。

バレーボールを始めて中学校から今年で25年になります。最初は母親がバレーボールを教えてくれて、中学・高校・大学を素晴らしい環境でプレイさせていただき、全日本に入って、海外に挑戦して、何人もの指導者に教わってきました。今までやってきた全ての仲間たちに感謝しています。

今僕が所属しているつくばユナイテッドサンガイアというチームは、本当に経営が悪化して、選手が、自分たちのバレーボールが出来ない環境でもがきながらやっている中で、本当に最高の最後のシーズンのパフォーマンスをしてくれて、僕をこういう大きな舞台まで連れて行ってくれました。彼らにも本当に感謝したいと思います。

長年バレーボールをやってきて、自分の成長そして、人間としての逞しさ、敬う心、いろんな形で自分を成長させてくれたバレーボールをこれからも大事にして、バレーボール人としてこれからもいろんな方面で活躍して成長していきたいと思います。どうもありがとうございました。

―今までで一番印象に残る試合は?

私が初めて海外に挑戦するときに黒鷲旗最後の優勝して東レのみなさんに送り出されたこと、黒鷲旗というのはその時点で日本での最後の試合でしたし、チームメイトに恵まれ、現在東レの監督である小林監督がキャプテンで、その中で自分が気持ちよくプレイさせてもらって結果も出せた、本当に思い出に残る試合でした。

―今日対戦した日体大の山田選手が、小学生の時加藤さんみたいになるのが夢だったと仰っていたんですけども、そういう選手と現役最後のラストゲームを戦ったあとで、改めて次世代に対する期待、これからの男子バレーを背負う存在たちにどうなってほしいと思いますか?

本来であれば社会人としてのプライドをかけて私たちが勝たないといけない、そういった試合で、さらに私が引退するという場面でした。若い世代には、人に対してどれだけ自分が貢献できるか、人の為にバレーボールができるか。そういう人間になってもらいたいと思います。

エースだからと言って打つだけではなくてレシーブであったりトスであったり、人のために点を取るんだという気持ちを忘れずに。ただ単にエースとして脚光を浴びてチーム代表としているんではなくて、そういう感覚だったり、自分を犠牲にした人が自分の得点の前にいるということを忘れずに、若い選手たちは頑張ってほしいなと思います。

―今後なんですけどもどのような活動を?

まずはゆっくり休みたいというのもありますし、これから私自身まだまだ成長したいですし、やはり日本の為にいろんな自分の海外で経験してきた事を若い人たちに伝えたいなとは思います。

―ブースの所に貼ってあった加藤選手からのメッセージが非常に印象に残ったんですけども、そこにあった「夢をかなえてくれてありがとう」その夢と言うのは具体的には?

私自身、バレーボール人としてはオリンピックを目指してきましたけども、そのオリンピックの道が叶わなかった、そして海外の挑戦を選んだ。その事に対してファンの方たちだったり家族だったり、応援してくれる人たちが自分達をバックアップしてくれてそして、個人スポンサーの方たちが資金面でバックアップしてくれた、そういう自分が海外でやることを実現できた。自分の思うようなキャリアをプレイヤーとして出来たことに対して、とても感謝の気持ちをこめて「自分の夢を叶えてくれてありがとう」とあそこには書いてあります。

―いろんな立場で現役を続けてこられましたが、いま振り返ってやり残したことは何かありますか?

全くないです。ポジションもすべて公式戦でやりましたし、監督・コーチ・選手も。まだやってないというのは応援する人。サポーターは自分ではまだやったことないポジションなので、これから若い選手たちを応援する立場として、いろんな形でバックアップしていきたいと思いますし、もちろん自分自身もこれからどんどん成長していかないといけない。その中でまた山あり谷ありかもしれないんですけど、いままで自分のやってきたことを信じて次のステップへ進んでいきたいなと思います。

― つくばユナイテッド、クラブチームならではの良さと、日本バレー界でこれからもっとこういう役割を担っていく存在にならないといけない。そのあたりを聞かせてください。

世界を見る限りではどの国もクラブチームは存在してまして、プロリーグで選手たちはやっている中で、日本は企業スポーツ。海外のマーケットでは、選手たちがどんどん動いていく、ブラジルであったりそういった選手たちは年間300人くらい助っ人外人として世界に出ている。ナショナルチームが招集されるときにその300人から代表選手を選ぶという環境ですけども、日本は海外に出ていく人は毎年数名ですし、これから海外に出る選手たちに対してよりよい環境を作っていって、そういった環境づくりをこれからやっていかなきゃならないのと、やはり指導者のレベルアップですね。なかなか学校養育の中で体育というスポーツというのは難しい位置に立っている。どれだけ良い指導者をこれからバレーボール界がそれをサポートできるか。そこをやればもっとしっかりした選手が育ってくるんじゃないかなと思っています。

―最後胴上げされたときに待っていたJTの選手たちも、あれは加藤さん自身結構驚かれたと思うんですけど。

そうですね。次の試合もあったので、アップの時間もあるので胴上げ自体も大丈夫かなと思ったんですけども、古巣のJTですし、みんなが顔見知りだし、そういった意味ではJTで自分がやってきたことも間違いではなかったなと。

―そのあと越川選手と握手して話をされていましたが、彼とはどんな話を?

やはりこれから日本を引っ張っていくエースとしてそしてベテランとして、がんばってほしいと。彼自身も今の全日本で唯一海外を経験している。長くやっている選手達に対してどれだけ自分の言葉を言えるかといったことを踏まえて、気持ちを込めてもっと自分の意思を出すことが必要ですし、最後に話したのは優もこういったことができるようにしっかりとバレーボールに取り組んでほしいと。彼もプロですし、なかなかチームに溶け込むというのは最初は難しいとは思うんですけど、というのも優の人物だったり人柄というのは、なかなか理解されないことが多いと思うんですね。でも、彼なりに自分を変えていきたいとねがって、いろんなチームを渡り歩いて、本当に苦しい中でやってきた人間というのをもっと大事にしていければなという思いでいます。

―(筑波大学の恩師であり、つくばユナイテッドサンガイアの理事長である)都澤先生に引退を伝えたとき、最初にどんな事を言われましたか?

体の限界と、自分自身思う所にスパイクが打てなくなったり、思うような所に体が行かなかったり、そういった自分の感覚と体がうまく噛み合わなくなってしまって、それはやはり自分としてもプロのプレイヤーとしてはコートに立つ資格はないという風に判断をしたんですね。都澤先生が作ったクラブチームを、なんとか選手として恩返しできればという気持ちではいたんですけど、今季、最後チャレンジマッチに行けなかったこと、そしてプレミアに行けなかったことは本当に申し訳ないという気持ちで、現役を引退するという事を伝えました。

―先生はどういう反応だったんですか?

すぐもう「お疲れ様」って「そうかあ」という話をされて。今までいろんな選手をいろんな会社へ送り出してきたので、やっぱり引き留めることはできないですよね、先生も。もちろんクラブチームとして選手が残るというのはやるべきことだと思うんですけど、やはりそれは教育者として引き留める場所じゃないなというか、環境じゃないなという事は重々承知で、いろんな僕の想いだったりとかもずっと5年間そして大学生活も含めて長い年月を一緒に過ごしてきた恩師なので。だから、いろんな言葉を言わずに「お疲れ様」と言ってくれました。

―今日の試合の3セット目の中盤くらいから、結構バックアタック呼んだりとか、手をたたいてる音がする、トスを呼んだりとか。ああいうのは、他の選手にも「こうやるんだそ」みたいな感じで見せてるように感じたんですけど。

そうですね、本来であればお膳立てされている立場なんじゃないかなとは思うですけど(笑)
見てる人もたくさんいますし、自分としてのプレイも見せなきゃいけないということもあってまた選手たちを奮起させることになりましたね。

―伝わったという感じはありますか?

どうですかね?(笑) それは僕自身では解らないんですけども、自分自身が呼んでトスが上がってきたという事は、そういう風に感じたんだろうなと。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
第1部
第2部

文責:中西美雁
写真:Michi Ishijima、出口季里
編集補助:横幕祐美

 

>> インタビューのページ一覧へ戻る

同じカテゴリの最近の記事

コメント

Sorry, the comment form is closed at this time.

トラックバック