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バレーボールマガジン>インタビュー>ビーチで見た夢、現実、葛藤、そして再びインドアの世界へ 日高裕次郎

インタビュー

2014-12-08 18:03 追加

ビーチで見た夢、現実、葛藤、そして再びインドアの世界へ 日高裕次郎

V1リーグ 男子

ブルーロケッツ最後のファン感謝祭にて

ブルーロケッツ最後のファン感謝祭にて

−−では少し過去に振り返りたいと思います。日体大、NECといきまして、廃部でした。その時の心境は。

日高:僕の中で、インドアをやっている時は、日本代表というのは頭になかったです。トップでやりたいというのがあって、NECに入ってバレーができて、僕の中で一段落したんですよね。もちろん移籍の話はありました。でも、僕はNECに行きたかったので、後悔はもちろん無かったです。できれば、まだこのチームでやりたいというのはありましたけど、他のチームに移籍してまでといのは無かった。

ビーチバレーは高校時代から興味がありました。僕らの高校時代は、鹿屋体育大がビーチバレーめちゃくちゃ強くて、僕は(出身が)鹿児島なんで、見ていて、ビーチバレーに興味ありました。それから大学4年の時に、なぜかたまたま北京五輪の白鳥・朝日組の試合を見て、なんかビーチバレーって凄い面白そうやな〜と。

−−高校時代は趣味や遊びでビーチバレーはやっていたのですか。母校の鹿児島商業高校にコートがあったとか。

日高:全くやってないです。見るだけ。コートがあるわけでも無く。当時、正直、鹿屋体育大にいきたくて、それを監督にも言ったんですが、ダメって言われました(笑)

−−では4年越しのビーチバレーだったんですね。廃部した時点ですぐ準備したのですか。

日高:(NECでの最後の試合が終わってから)早かったですよ。周りには言ってなかったですけど。ビーチバレーの大会には6月か7月からは出てました。

beachhidaka−−ビーチバレー時代の5、6年を振り返ってみて、どうでしたか。

日高:良かったことは夢を見れたこと。夢を追いかける価値があるものなだと。でも、追いかけすぎると現実が見れなくなって…。難しいなぁ…良かったこと…。何でも自分でやっていかなくちゃいけない。大人の世界を知れました。別にビーチバレーではないですけど。ビーチバレーを通した人付き合いだったり。ほんと一言でいうと社会勉強。自分の体が大切な商売道具なんだということを凄い実感しました。ケガしたら、練習もできないし、バイトもできないし、収入もなくなってしまいます。

−−当時は何のバイトされていたのですか?

日高:練習の拠点だった神奈川の焼き肉屋でバイトをしていました。海外遠征の時はずっとバイトを休みました。

−−そういうのは、理解がないと大変ですよね。

日高:その焼き肉屋が個人店で、オーナーが鹿児島の方で良き理解者でした。ツアーから帰ってきたら週6日入れてくれたり。本当にありがたかったですね。

−−ビーチバレーで食べていけるのはトップだけなんですか。

日高:ビーチバレーのためにスポンサーをつけてやっているというのは……あんまりいないと思います。僕も実際、ビーチバレーだけで生活したのは去年1年間だけでした。北京(実際には中国の福州市)の結果※があって、それを西村さんに評価してもらった。でも、それがビーチバレーを辞める理由の、ひとつのきっかけになったかもしれません。ビーチバレーだけに専念できる1年があったので、何とか国内で勝つことが出来ました。

(※ロンドン五輪のビーチバレー競技では、ペアのランキングとは別に、アジア枠の1枠を国別対抗戦で決める大会が、五輪直前の6月に中国の福州市であった。そこで白鳥・朝日・青木・日高の4人が日本代表として優勝した。しかし、大会後の7月頭にあった、日本代表決定戦で、日高・青木組は白鳥・朝日組に敗れてしまい、ロンドン五輪の出場は叶わなかった。)

−−その話を聞くと、リオ五輪が見えてきたのではとこちらは思ったのですが。

日高:その先が見えました。リオ五輪も頑張ればとは思いました。ビーチバレーというのは今だけ。ビーチバレーで一番思ったのは、もちろんビーチバレーだけでなくスポーツ業界を見て感じたことはなんですが、五輪にでるだけでは意味が無くその上で勝たなくてはいけません。現実が見えました。世界レベルの選手と戦う事で肌で感じられました。

あとは残念ながら日本にはビーチバレーが強くなれる環境があまりないのかなと。国内では西村さんと組んで、あの環境があれば負けることはないと感じました。でも、世界で勝っていくためには、環境が絶対整わないと厳しいと思います。

−−やるんだったら、世界で勝ちたいと。

日高:リオ五輪を目指してやっていくんだったら、そう思わないといけない。でも、それも無理なのかなと思いました。環境整わない現状では。

−−ふんぎりがついたということでしたが。一方で、南部さんから声かけられたとはいえ、スポーツの世界から引退しようという選択肢もあったのでは。

日高:もちろんありました。最初は公務員になりたいと思いました。安定した生活に憧れていました。5、6年バイトしながら、こんなきつい思いして…。口では言えますけど。朝ちゃんと何時に起きて何時まで仕事してというのは、当時は、安定した給料をもらえるというのが幸せに思えました。

−−ご両親は何か言われていたんですか。

日高:まぁ…何年かは僕には直接言わないで、兄を通して聞いたんですけど、「将来のことも考えなさいよ」とは言われていました。僕自身も、やり続けてもリオ五輪までとは思っていた。やっぱり親が心配する競技ですよね。パナソニック入団はめっちゃ親が喜んでいました。親はビーチバレー自体は大好きで、でもなんだかんだでインドアが好きみたいです。

−−プロ契約と聞いたのですが。

日高:基本的には1年契約です。プロで1年でもやろうと思ったのは、やっぱりビーチバレーと訳が違うし、結果を出せばその分だけの成果がついてきます。

−−やはりそれは魅力でしたか。

日高:うーん…、今だから言えますが。練習生の時は正直不安でした。でも、結果を出せば評価してもらえるというのがわかりました。今はやれるという自信もでてきました。

−−2008年北京五輪を見ていたということですが、その時に出場した福澤選手、清水選手とか同世代の仲間とできるのは。

日高:めちゃめちゃ嬉しかったです。冗談半分で、「インドアにもし戻れるならどこいきたい?」と言われたことがあって、「パナソニックにいきたいわ」とは話していた。冗談ですけどね。

−−彼らとは定期的に連絡をとってたんですか。

日高:ぼちぼちですかね。そんなに多くは無いけど。パナソニックに行く前にも「世話なるわ」って(笑)ライバルというか、敵にするより味方にいた方が心強いですよね。

−−当面の目標は。その先の日本代表は。

日高:インドアに関しては五輪の代表というのは全く無いですね。チームで優勝、チームで3冠とることです。

−−ところで、練習後に氷水につかってましたが、体のケアをしっかりされているんですね。

日高:練習も試合もプロとして全力でこなさないといけません。プロとして、その日のうちに体のケアをしています。インドアは下半身に疲労がくるので、氷水に下半身をつけてました。

−−あと、練習を見ていると、ブロックに戸惑っている印象を受けたのですが。

日高:ブロック、かなり戸惑ってますね(笑) 横の動きに。これはビーチの影響があると思います。ビーチには横の動きは無くて、縦の動きばっかりなので。ようやくスパイクを打ち始めてから一段落して、次のステップでブロックに取り組み始めたところですね。リーグ開幕までにしっかりと、ブロックの準備していきます。最低限の動きはできるように。

−−現時点では大学時代、NECの時の方が動けていますか。

日高:もちろん。もともとブロックはそこまで得意ではなかったんですけど、僕の仕事はサイドアウトを取ることです。NEC、日体大の時から言われていたことなので。パナソニックでも、川村さんから言われていたのがMBの「平均打数が足りてないので打開してほしい」と言われて、「もちろんです」と答えました(笑)

IMG_6648-s−−練習では結構跳んでる印象がありましたが、いくらくらいですか。

日高:340cmくらいです。でも、全盛期は350cmは越えていたと思います。クイックは(体勢が)悪い時でも決めるのが大切。その時に高さが低いとね。

−−では、ジャンプ力を鍛えるトレーニングを。

日高:いや、ケガをしない体作りをメインに取りくんでいます。ケガしたらチームに迷惑がかかるので。

−−ビーチバレーではどこをケガしやすいんですか。

日高:肉離れが多いです。箇所は色んなところ。ビーチバレーは外なんで、アタック打つ時にすかす可能性とかあるんで。その時に肩とか傷めやすいですね。

−−川村監督と立ち話したのですが、「声がすごい、思ったより出てびっくりした。盛り上げていた」と。

日高:もともと声は出る方ですが、パナソニックの若い選手は静かですよね。

−−新加入とはいえ、引っ張っていこうという意識はありますか。

日高:引っ張っていこうとは思ってはいないですけど、できることをやろうとは思っています。声を出せる人、出せない人っていますけど、自分は出せる人だとは思うから。

−−川村監督から言われていることは?

日高:(川村さんは自分を)すごくたててくれて、選手の意見も聞いてくれてやりやすいです。僕が個人的には悩んだ時に頼れます。僕は情報が欲しかったら、聞きに行きます。川村監督は見てくれているので本当に助かります。

−−すごいコミュニケーションをとってますよね。

日高:しゃべるのが大事。大学時代はコミュニケーションの大切さを優勝している時に学んでいるので、小さなことでも確認しています。コミュニケーションをとるという事は大切だと思いますね。

−−パナソニックに入団が決まって、大学時代の仲間とかから連絡はありましたか。

日高:いやぁ、めちゃくちゃきましたよ。インドアかよ! しかもパナソニックかよ! って。前年度の優勝チームですし。ビーチバレーからいなくなって何してるかと思ったらパナソニックか! って。

−−大阪での生活は初めてですか。大阪の街はどうですか。

 日高:初めてです。大阪は、いろんな事が違いますね。言葉も違いますけど。

−−オフの時は。

日高:全然外に出ず、おとなしくしています。体を休めています。

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