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バレーボールマガジン>インタビュー>ビーチで見た夢、現実、葛藤、そして再びインドアの世界へ 日高裕次郎

インタビュー

2014-12-08 18:03 追加

ビーチで見た夢、現実、葛藤、そして再びインドアの世界へ 日高裕次郎

V1リーグ 男子

_200812_hidaka2−−日体大時代の思い出を伺いたいのですが、日高さんが大学3年の時に何十年ぶりに優勝をしたということですが、しかも2連覇。当時のことを聞かせてもらえませんか。

日高:3年生の時はメンバーも揃っていたので、波にのればと思っていました。4年の時は順天堂大との準決勝で捻挫しちゃったんですよ。2セットとって、3セット目の19−24くらいで前衛にあがってきて、その時に捻挫していて。そこからの大逆転劇は覚えていますね。その時のメンバーは、米山(サントリー)、高松(豊田合成)、順天堂大には今村、伊藤(共に堺Bz)がいました。

−−捻挫していたのに、出続けたのですか。

日高:出ましたよ!(笑) うちの監督、全然代えてくれなかったですね(笑) 前衛3つ目で捻挫して、監督をちらっと見たら、「打て」って。その時の記憶は忘れないですね(笑) 思いっきり打ってやりましたね(笑)

−−東海大学との決勝戦は。

日高:フル出場しました。朝から鍼を打って。決勝の1セット目を取られたのですが、そしたら、誰かが「去年と一緒やん!」と言ったんです。「これいけるんちゃうか」という雰囲気になって、2セット目からポーンと取って、気がつけば3−1で優勝することが出来ました。

−−今でもその当時の話をしますか。

日高:中央大学や東海大学がパナソニックに合宿にきたんですけど、その時に「当時の試合のビデオを見ましたよ!」と言われました。

−−それくらい伝説の試合。

日高:見てくれていたんですよね。当時は観客が多かったですから。

−−あ、福澤選手、清水選手が出場した北京五輪の直後ですもんね。

日高:今じゃ考えられないですが、東京体育館での試合で、超アウエイでした(笑) やっぱり当時のメンバー、同級生達とは節目節目で連絡とりあいますね。

IMG_6697-s−−では改めて意気込みを。

日高:前年度チャンピオンチームですけど、僕は、関係無いといったらおかしいですけど、年は年ですがフレッシュさを出して、センター線で突破口を開き、試合に勝てるように貢献できるようにしたいです。

−−それにしても、誘ってくれた南部さんが日本代表にいってしまって、ビックリしたのでは?

日高:めっちゃビックリしましたよ(笑) うまく引き継いでいてくれたので、良かったですけど。

−−今日はありがとうございました。

 

聞き手:大塚淳史
写真:大塚淳史、久坂真実、竹内由美

日高 裕次郎(ひだか・ゆうじろう)
1986年11月21日生まれ、鹿児島県霧島市出身。霧島市国分南中学(新鍋理沙は4学年下の後輩)ではアクエリアスカップに出場、鹿児島商業高校から日体大へ進学。日体大3年、4年時に全日本インカレを2連覇。4年時に、内定選手としてNECブルーロケッツで活躍するも、卒業して入団直後の5月にチームが廃部の憂き目に遭う。その後、ビーチバレーに転向して、五輪を目指した。今年8月にインドアに再転向して、パナソニックパンサーズに入団。身長191cm(本人曰く、現在も伸びている)、指高240cm。

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