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バレーボールマガジン>インタビュー>セッターとして、チーム最年長として-木場田和希・浜崎勇矢

インタビュー

2016-03-04 17:07 追加

セッターとして、チーム最年長として-木場田和希・浜崎勇矢

大分三好 同い年のセッター対談

V・チャレンジリーグ 男子

IMGP7236-002◇木場田 和希(こばんた かずき) ◇写真奥
No.2 主将

1987年9月29日生まれ(28歳)
鹿児島県鹿児島市出身

鹿児島商業高校→九州産業大学
→いわさきBlue Wave
→堺ブレイザーズ(2012/13~2013/14)
→大分三好ヴァイセアドラー(2014/15~)
身長 180cm / 体重 75kg

◇浜崎 勇矢(はまさき ゆうや) ◇写真手前
No.10

1987年11月30日生まれ(28歳)
宮崎県宮崎市出身

宮崎工業高校
→豊田合成トレフェルサ(2006/07~2008/09)
→大分三好ヴァイセアドラー(2009/10~2012/13)
→つくばユナイテッドSun GAIA(2013/14~2014/15)
→大分三好ヴァイセアドラー(2015/16~)
身長 190cm / 体重 80kg

 

-では、早速なのですが、お互いにお互いを紹介していただきたいなぁと。

「ほぉ」

-どちらからいきますか?

「じゃんけんする?」

じゃんけん、ぽん!

じゃんけん、ぽん!

-勝ったほうからいきますか。

浜崎「木場田は、まず、相手側としての印象は、すごく堅実に、あげるセッターで、例えば堺寄りだなというイメージだったんですが、僕が三好にまた戻ってきて、選手を生かすのがうまいセッターだなと思いました。厳しさも持ってて、僕にない部分も多いので、すごい勉強になるというか、あとは、すごい、まじめです!僕にはない(笑)とこなんですかね。…(木場田に)あとでコーヒー1杯(笑)」

木場田「浜崎は、僕と同い年で、同じ九州で、高校時代から知っていて、バレー選手としての経験は僕より長くて、僕よりも経験をしてますし、ほんとに僕にない部分を持ってて、まずは、身長でかいですし、いろんなことをそつなく、サーブだったり、ネット際の攻防だったり、できるので。コートの中ではどっちかというと冷静にあげるタイプのセッターで、でもほんとに僕とは違ったタイプのセッターで、一緒にやってて、いろんなことを気づかせてくれる存在ではあります」

浜崎「コーヒー返すわ(笑)」

 

-おふたりが、セッターとして似ているところと違うところというのはどんな感じなのでしょうか。

浜崎・木場田「似てる…?」

木場田「よく、同い年ということもあって、いま一番チームの中で、プレイ以外のことを話すことがすごく多くて、いまチームの状況がこうだねとか、こういうところはそうしたほうがいいねとか。それは一応上の仕事でもあるんですが、セッターとして周りの状況を把握するとか、そういうことに関して、同じ角度から、似た角度から注目したりとか、戦況とかも…そこが、似てるところかなと」

浜崎「プレイは似てる…外から見たらそんな感じなんですか?
三好のバレースタイルというか…。外国人いて、そういうところで似たような感じになってくるのかな…と。個人的には木場田と違うようにしたいと思っているので。そうですね(笑)。バレー以外で話すことは多いですけど、いまは(木場田は)キャプテンなので、チームをまとめてもらいたいし、そこで、僕は役職は別にないんですけど、同い年で支えたい部分もいろいろあるので、年下が言いづらい部分とか、コミュニケーションとって、そのへんは橋渡しになれればいいなと。今になって力不足を痛感しているんですけど…」

IMGP7164

-それぞれ、バレーボールを始めたきっかけ、セッターになったきっかけを教えていただけますでしょうか。

木場田「母親がママさんバレーをしていて、そこについていったりしたので、ほんとに、そこからのめりこんでいくように、バレーバレーバレー、というふうになりましたね。
で、僕、めちゃくちゃ身長ちっちゃかったんで」

-ちっちゃかったんですか?

木場田「最初中1でリベロで」

-そのころで身長どのくらいだったんですか?

木場田「入学して147cmくらい」

浜崎「ちっちゃ!」

木場田「身長はそれからちょっとずつ伸びたんですが、中学2年生でセッターになりました。そこからずっとセッターです」

浜崎「僕は父がバレーをしてたのと、兄も身長が高かったのでバレーをしていたんですが、ほんとうはバスケットをしたくて、中学校の時に、見学に行ったんですね。バスケ部。県でも強かったんで。でも、たたかれたりするくらい厳しいところで、見に行って誘われたりしたんですけど、そういう厳しいのはあんまりすきじゃなくて。そこで隣でバレー部が練習やっててバレー部見てたら、スパイク打ってみないかっていわれて、父も兄もバレーしていてスパイクの打ち方とかを見ていたんで、それでスパイク打って、うまくいったんでバレー部入って(笑)」

-そのころで身長どのくらいだったんですか?

浜崎「173くらいですかね」

-おお

木場田「中1で?」

浜崎「中1で。でも、中1のときは、ルールもあんまりわからないくらいで、あんまりやる気がなくて、けっこう練習にも行かなかったくらいで(笑)。中学2年生くらいで身長伸びて185くらいになって、で、選抜とか入ってけっこうやり始めた感じですね。兄が宮崎工業出身で、試合とかも見に行ってて、誘われて、宮崎工業にサイドで入ったんです」

-サイドだったんですか?!

浜崎「スパイカーで入って、で、高校1年の夏にコーチングキャラバンで、今の日立(リヴァーレ)の監督の松田(明彦)さんに、セッターやらないかと言われて、セッターやり始めたんです」

-わりとあとになってからなんですね…

浜崎「そっからずっと、セッターです」

-高校を卒業してから豊田合成に入ったのも、そのへんの流れですか?

浜崎「そうですね」(松田氏は2005年に豊田合成の監督に就任した)

 
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