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インタビュー

2019-03-21 18:00 追加

越境バレーボーラー ブドヴァ(モンテネグロ)今村駿 前編「日本は全てが完璧過ぎる!」

今村駿インタビュー

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スウェーデン、イスラエルに続きモンテネグロ。海を越えて今年で3シーズン目、スタート地点に立つ今村駿選手(元堺ブレイザーズ)ですが、チーム探しに難航して、海外でプレーすることの大変さをこれまでになく実感したといいます。そんな海外移籍の道を切り開いた日本人バレーボーラーの一人に現在のチーム、ブドヴァについて、また日本のバレーボールについて聞きました。

――スウェーデンから始まり3年目となりましたが、2年目のイスラエルからここモンテネグロに来た経緯を教えてください。

今村:イスラエルでシーズンを過ごしていて、チームの方からも残ってくれないかという話をいただいていたんです。別に悪いチームじゃなかったし、住む環境とかも問題がなかったので、「これ、行けるかな?」みたいな感じでいたら、クラブの経営が急に厳しくなって、白紙になったんです。シーズンが終わって帰国した(昨年)4月の終わりのことでした。チームからは「話をまとめておくね」って言いわれていたのに経営が厳しくなっちゃって…。その時、エージェントも付けてなかったので、「これはヤバいな」と思って、そこから20~30人位に知り合いのエージェントを紹介してもらって、その方が(ブドヴァを)見つけてくれて、今に至ります。

奥様の亜季子さん(旧姓井野):結局最終的には私のカンヌ時代のチームメイトに連絡して、誰かエージェントを紹介してとお願いして、その子のエージェントがここ(ブドヴァ)につ繋げてくれたんです。その子はブルガリア人だったんですけど、まさか繋がるとは思ってもいなかったです。
*井野 亜季子(いの あきこ)1986年9月28日生まれ 元全日本女子バレーボール選手。ポジションはリベロ。2010年世界選手権にレシーバーとして出場し銅メダルを獲得。

――ヨーロッパがいいなど、希望は出したのですか?

今村:そんなの言ってる状態じゃなかったですけど、ヨーロッパでやりたないというのはありました。でも、決まらなくて、「ほぼ引退だな」「身体はめちゃめちゃ動くのに引退か」みたいな(笑)。スウェーデン時代の知人やぺピチ・ミラン選手(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)とかエンダキ・エムブレイ選手(カメルーン)にも相談したりしました。

――チームが決まったのはいつ頃ですか?

今村:決まったのは(昨年)8月の終わりです。

――モンテネグロに来たのは(昨年)のいつだったのでしょう。

今村:最初のチケットが用意されたのは(チームが決まって)2週間後くらい。犯罪証明書が必要で、それは警察じゃないと発行できなくて、「どういうことに必要なのか」をセルビア共和国大使館(東京・北品川)に行って「これこれこういう事情で必要なので発行してもらえませんか」という発行依頼の文書を出してもらいました。その後、警視庁へ行き「犯罪証明書の発行をお願いします、こういう目的です」と言って発行してもらいました。家族も一緒に行くのですが、僕の分のビザとかは(チームが)準備してくれますけど、家族のは婚姻証明や戸籍謄本は自分でを用意しないといけないうえ、日本語の紙一枚だと誰も認めてくれないので、英語なりこっちの言葉に訳したものを持ってきました。決まったら決まったで、いつでも飛び立てるかというと、国やチームによって必要なものとか準備しなくちゃいけないものはまた別なのです。明日はここ行って、今日はここ、みたいな状態で、いざ飛び立とうとしたら、空港でロシアのトランジットビザがないといけませんと言われたんです。

――その時はどんな心境でしたか?

今村:「しょうがないな」と思って(笑)。とりあえずエージェントに連絡して、そこから別の航空券取って、9月の終わりにこっちに来ました。

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