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インタビュー

2020-02-19 17:30 追加

越境バレーボーラー 福澤達哉「もう一度海外でやりたい。リオ五輪を逃したときから思っていました」

福澤達哉インタビュー

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2008年の北京五輪から12年、今や龍神ニッポン最年長となった福澤選手。記憶に新しい2019年ワールドカップでは日本バレーを支える一選手としてコートに立ち続け、今季は所属のパナソニックを離れフランスのパリバレーへ移籍。そんな福澤選手に現地で自身の考えなど聞かせてもらった。前編は会社員として海外挑戦についてなど。

――まずはここパリバレーに来た経緯を教えてください。

一番の大きな理由はシンプルな話で、「もう一度海外でプレーしたい」というのが最初のスタートです。一度ブラジルでプレーをしてみて、慣れるのにリーグの半分かかって、途中で「こういう勝負の仕方をするんだな」と分かったタイミングで帰って来たっていう感じでした。ブラジルから帰ってきたあと、もしもう一度チャンスがあるなら、海外でワンシーズンプレーしたいなという思いはずっとありました。

リオ(オリンピック)を逃して、自分の中で選手としてこの先どうするのかと進退を含めて見つめ直して、もう一度東京(オリンピック)というチャンスがあるならば、アスリートとしてのゴールがここにあるのか挑戦してみたいと、バレーボールを選択しました。その時に、ずっと心にあった「もう一度海外で」という話を会社に伝えて、なんとか行く方法が見つからないかと動き出したのが、ちょうどリオの後、2年前くらいです。2年くらい会社と調整しつつ、チームを探しながら、パリという伝統のあるチームに来ることができました。この年齢で、会社員で籍を置いたまま、ここでプレーできているのは、こんな都合のいい話はなかなかないと思います。

――今回は1シーズンと決めているんですか。

そうですね、1シーズンと決めていました。

――あくまでも会社員としての挑戦なんですね。

そうですね。決して保身からというわけではありません。なぜプロにならないのかという意見もあるかもしれません。僕の中でのバレーボールというのは当然、人生の一つの軸としてともに歩んできたものですが、その一方で会社に入社する時に「パナソニックで仕事をしてみたい」という思いを持って入社しました。

ただ、今回こうして来させてもらって思うのは、きちんと説明できるだけの自分のセルフマネージメントと、なぜ行くのかっていう明確な理由と、それを言い続けるだけの覚悟と確固たる明確な目標がないと、まとまりません。この挑戦に対する責任と覚悟は、プロ選手と同じくらい僕は気持ちを作ってきています。社員で行くという甘い汁だけを吸っていくのではなく、「(海外でプレーするのは)こういうことなんだよ」というのは伝えたいなと思うんですよね。

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