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インタビュー

2014-12-08 18:03 追加

ビーチで見た夢、現実、葛藤、そして再びインドアの世界へ 日高裕次郎

日高裕次郎選手(パナソニック)インタビュー

V1リーグ 男子

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ビーチバレーボーラー日高裕次郎が、8月、パナソニックパンサーズに入団した。NECブルーロケッツ(廃部)で活躍した2008年以来のインドアバレーに復帰だ。日高は国内大会2013シーズンに、西村晃一とペアを組んで、何度も優勝した日本を代表するビーチバレー選手だった。日本のバレー界では、インドアからビーチバレーへの転向は男女問わず、何人もいる。川合俊一、西村晃一、朝日健太郎、今井啓介、上場雄也、佐伯美香、菅山かおる、浦田聖子、etc。しかし、一度ビーチバレーに転向してから、再びインドアに戻ってきたとなるとかなり珍しい。女子では恐らく西堀育実(現・トヨタ車体クインシーズ)くらいで、男子では今までいなかったのではないだろうか。そんな思い切った決断をした日高に、インタビューを行った。

 

−−今回、日高さんを取材しようと思った理由ですが、日本のバレーボール界では過去にインドアからビーチに転向することはあっても、ビーチからインドアに戻るのはかなり珍しいと思います。もしかしたら、初めてかもしれません。それで、取材してみたいと思いました。

 日高裕次郎選手(以下、日高):そうですね。僕の知る限りはいないですかね。

−−なぜまた戻ろうと思ったのでしょうか。またインドアに戻ってきてどうですか。

日高:戻る一番のきっかけになったのは、ビーチバレーのシーズンが終わってからの南部さんとの出会いです。たまたま、なんですが。ちゃんと順追って話しますね。

ロンドン五輪に手が届きそうなところまでいって、結局行けませんでした。そこで一区切りして、さあもう一回頑張ろうと思って、国内大が会始まり、国内チャンピオンになれました。ただ、チャンピオンになれたんですけど代表として選出されませんでした。

ロンドン五輪が終わって、ビーチバレー界トップの白鳥・朝日組が引退してしまいました。その人たちがやっていた頃は実力主義で、勝ったペアが代表に選ばれていた。僕はその人たちに憧れてやっていました。その人たちが上にいなくなって、目指すものが無くなった。

そろそろ現実を見て、夢だけでは食べていけない。ロンドン五輪までの時間は夢だけで、練習が終わってアルバイトしてというきつい生活を送っていました。ロンドン五輪が終わって、本当は迷っていたのですが、「どうしてもやってくれ」と言われてモチベーション作り直して大会に出ていました。

−−その後、国内戦出場5戦中4戦で優勝。そういう状況で、このままいけばリオ五輪も、と思ったのですが。

日高:でも、その年も代表戦があったにも関わらず、勝っても行けなかったのです。国内戦の内2戦はケガで出場できませんでした。ビーチバレーをやっていて、勝って行けないんであれば…。

−−−では2013年当時はまだビーチバレーをやっていこうと思っていたんですか?

日高:国内戦で勝って、どうしようかなと迷っている時に大学リーグを見に行きました。2013年秋ですね。日体大での関東大学リーグを見に行っている時に、南部さん(元、パナソニック監督)とコーチの木村さん(現、副部長)に出会ったんです。木村さんは僕がユニバ代表の時のコーチでした。南部さんが「何してるんや〜」と声をかけてくれて、「インドアはどうか?」みたいな感じで誘われました。お二人は大学生の視察に来ていて、なぜか大学生ではなくて僕がスカウトされました(笑)

−−−ということは、2人とも日高さんのプレーを覚えていたということですか?

日高:NECの半年と大学でのプレイを覚えてくれていたのですね。

−−覚えてくれているなんて、嬉しかったですよね。

日高:嬉しかったですね。5、6年はインドアのブランクが空いていたんですが、まだ年も年だから、できるかなぁと思って。

−−そこからどういった動きに。

日高:そこから連絡をとりあって、練習生として、6月から合流しました。6,7,8月と3ヶ月様子を見て判断しようと。お前の力を見せてくれという形で、練習に参加して。8月から契約しました。

−−−インドアは久々ですか。

日高:ビーチバレーをやっている時は、全然インドアをやってなかったです。

−−ビーチバレーの間は、インドアの試合、Vリーグとか大学リーグとかは見られていたのですか。

日高:たまーに見る程度。その時、自分はインドアから離れていたので、すげーなーと思いながら見ていましたね。

近畿総合大会でパナソニックの選手としてデビュー

近畿総合大会でパナソニックの選手としてデビュー

−−インドアに復帰して練習に参加してみて、思ったよりこれは大変、これはいける、と思ったことはありますか。

日高:最初は飛ばし過ぎもいけないので、まずインドア仕様の体を作ろうと。こっちに来た当時、体重が94キロあったのが、今は89キロくらいまで落ちました。かなり体が絞れてきています。ビーチバレーのシーズンが終わった10月からはウェイトはやっていましたが、あまり体は動かしていませんでした。トレーニングに関してはやっていたので大丈夫だったのですが、練習はボールも全然違うし、色々戸惑う部分がありました。

−−例えばどんな部分に。

日高:まずオーバーですね。インドアは決まった場所にパスを出すじゃないですか。セッターがポジションをとった場所に。ビーチバレーにはそういうのが無い。状況に合わせてパスを出すから、基本的にビーチバレーはネット際にパスを出さない。ボールをうまく浮かせたり、コントロールしながらパスを出します。

でも一番戸惑ったのは、ジャンプの仕方。跳び方が全く違う。「ビーチバレーをしていたから、砂の上で跳んでいたからいくらでも跳べるでしょ」とよく言われますが、全然そんなことはないです。足腰は確かに強いと思いますけど、ビーチは踏む。インドアは蹴る。踏むのと蹴るのがやっぱり違うと思います。

−−助走とかも違いますよね。

日高:俊敏な動きがインドアは多いです。コート上をボールがピュンピュンとんでくるので。ようやくちょっとずつ対応でき始めてきたかなと。

−−ビーチバレーをやってよかった、いかせるなと思ったことは。

日高:ボールのミートとか、人が見える様になりましたね。自分が攻撃する時に周りを見れる様になった。ビーチバレーはコート全体を見ないといけないので。

−−練習で見ていて、クイックを打つ際に引きつけてライト側に打ったり、テクニックがあると思いました。

日高:僕自身、もともとクイックのバリエーションをもっていました。それが僕の持ち味かなと。スピードとクイックのバリエーションの多さというのは、開幕までに勝負できるように準備にしていきたいですね。

−−ビーチバレーを経験したからなのか、もともとなのか、上半身に凄い筋力があって安定していますね。

日高:もともと大きい方ですけど、ビーチバレーを始めて、更に上半身が大きくなりました。ビーチバレーってボールコントロールが求められるのですが、実はボティコントロールが一番大切なんですよね。そこがビーチバレーで学んだこと。インドアって床なので意外と動きやすい。でもビーチバレーって砂の上なので動けず、自分の体の動かし方が重要になります。それでウェイトトレーニングの大事さに気がつきました。

インドアで自分が生き抜く術、ターンを打ったり、大学やNECでやっていた時の様に。NECでは在籍時間は少ない時間でしたが、当時のことを思い出しながら、練習に取り組んでいます。

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