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インタビュー

2017-11-15 18:01 追加

躍進ジェイテクトを支える早野GMの“マネジメント論”(前編)

SV男子

外部から血を注入して意識改革

——そうやって外部から血をいれてたりしていったわけですか。
早野GM:外からも入れて、意識改革して、一方で生え抜きの選手は生え抜きで伸ばしていかないといけない。例えば、プレミアリーグで長年活躍していた選手はこういう考え方で練習に取り組むんだとか、練習後は自分でウェイトトレーニングにやったりとか、モチベーションとかもっていき方が違いますよね。そういうのを生え抜きの選手達に早く血として入れて、体に染み込ませることを目的としました。ある意味、すでに成功者である方に頂いたとも言えます。

——生え抜きの選手、大学の選手を獲得する際には、どういう基準でスカウトをしていったんでしょうか?
早野GM:基準というか、基本的にはいい選手というのは、長井がある程度ピックアップして「この選手を見に行こう」と大学のリーグ戦、インカレを含めて試合を見にいき、そこの監督さん通じてお声がけしていき、だんだんと選手をしぼっていきます。やっぱりこの選手はまだうちにこないよねとかの判断も含めて。

——ちなみに、現キャプテンの浅野博亮選手はどういう形で目をつけて入団に至ったんでしょうか?
早野GM:浅野は東海リーグの中でも実力があって目立っていて、当時、アドバイザーとしてちょっとうちにいた青山(繁、元全日本、富士フィルムや東レで活躍)にもいろいろ聞いたりしました。我々は全試合は見ませんけど、青山がいつも言っていたのが「浅野一人にやられた」。彼を見に行くと、すごい小さくて、でも大学オールスターとかにも出るなど活躍していました。大学の先生とか監督さんにもお願いして、取りにいきました。

オラが職場の選手たち

——身長的なものがあって、大学で活躍していても実業団ではわからないものがあると思います。浅野選手には以前取材したのですが、本人はそれまで教員を目指していたといっていました。それをどう変えたのですか?口説き方というか?
早野GM:口説き方というか、我々が問うことは、「将来何をやりたいの?」というところから、「仕事はどういうことしたいの?」と尋ねます。「僕はバレーだけをやって、30歳で引退して、実家の自営業を継ぐんです」という人には声をかけないです。それだったら、名門チームで朝から晩までバレー漬けで、それが多分その人にとっては一番ハッピーなんだなと思います。
我々いろんな職場に選手を配置してします。今でも午前中は仕事をさせています。言葉はあれですが、「オラの職場からこの選手を出した」という、職場の一体感が生まれます。うちの応援旗というか、個人の応援旗を見ていただくと、なになに工場、なになに課、なになに部一同と全部書かれています。その課であったり部であったり支援してくれています。セカンドキャリアを始めから言っちゃいけませんが、ある程度仕事を、バレーが終わったらしっかりビジネスマンとして育てていかなければならないです。だから、バレー選手としてもですが、バレー選手の前にいち社会人としてしっかり育てていかなければいけない。そういうのを含めて午前中に仕事をします。その仕事もある程度、例えば、午前中だから仕事を与えられないよね、ではなくて、職場の皆さんにお願いしているのは、スキルだとか、量だけでもかましてねとか。やることは一般社員と同じ、スキルを発揮できる様にします。

——なるほど。いつでも会社の仕事に対応できる準備しておくと。
早野GM:そうそう。それがあるから、逆にいうと、彼らも試合が終わったら、皆職場に戻って活躍している訳です。逆に「あいつを早く引退させて戦力にしたい」と言われることもある。

——そこまで言われるんですか(笑)。
早野GM:ですから、うちはバレーをやめて会社を辞めるという選手はいません(*未確認)。

——ジェイテクトの特徴というと、各会場での大応援団のすごさというのがありますが、そういう取り組みがあるからですか。
早野GM:そうですね。それもそうですし、もともと我々は2006年に合併した会社でして、会社でいわゆる社技というものが特にありませんでした。じゃぁということで、我々が社長や役員の方に、バレーってこんなにいいんだよとプレゼンしました。そして実際に試合会場にも、社長を迎えて見てもらって、応援してもらいました。すると、社長が「これはなかなか面白いじゃないか」いうことで、その当時の、両社合併のシンボリックなものとして、そして会社の強化スポーツとしてバレーボールを認めてもらった。

それから非常に応援していただいて、社長自ら自分の部下にバレーの試合があるから応援しにいこうと言っていただいたり、いろんな形でバレーの会場に社員メンバーを出してもらったり、それから取引先の方々もどんどん応援していただきました。そこまでくるとあとはもう早いというか、あとはやっぱり本格的に応援していかないといけないよねとなり、当時の人事部や役員にお願いして、東部、中部、西部と応援部を結成していただき、応援部もひとつの仕事だと位置付けていただいた。そして、東中西の各部で応援に入って、さらにチアガールも入っていただいた。ブロックごとに応援部がありますからどっかが常に試合会場にいっています。あと合併しますと、47都道府県どこにでも我々の事業所なり営業所なりグループ会社があります。そこにもPRしてとにかく来ていただく応援していただく。すると合併でも一体感が醸成される。

ただ、我々の目的というか、バレー部としては、まず皆さんに来ていただくことです。次は、観ていただいた人が感動して、我々も頑張ろうと思ってもらえることです。月曜日に工場の生産性が10%上がるとかで貢献したいよねと取り組みました。ですから、そう感じてもらうためにも、日曜日の最終便で遠征先から戻ってきて、月曜は必ず会社に出社させます。土日の成績を朝礼で発表させたり、「ありがとうございました」と挨拶させたりと。そして火曜は休むようにさせています。

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