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インタビュー

2018-02-04 12:00 追加

デンソー・鍋谷友理枝インタビュー(後編)「子どもの頃は、大田区総合体育館に母のママさんバレーの試合を観に行っていました」

SV女子

日本一になりたくて、東京から大分へ

――バレーを始めたのは小3の時とのことですが、私立小学校の受験を経験されているんですね。これはバレーとは関係なく?

鍋谷:はい、最初は普通に勉強する予定だったので…。出身小学校は上にも中学があるのですが、他校に中学受験で入る人も多いので、私もそうするつもりで、高学年まで受験勉強もしていました。両親がバレー経験者ですが、最初は自分もバレーをするつもりはあまりなかったように思います。ところが、小1の時に学校にバレーチームができて、3年生になって、そこに入ることになったんです。

――私立小学校のバレーチームって珍しいですよね。今もあるんですか?

鍋谷:東京都で初だったみたいです。都大会に出た時に私立の学校で初だと言われました。今はもうなくなってしまったのですが。

――ご両親が指導されたりもしていたんですか?

鍋谷:父がコーチをやっていました。全然強くはなかったですけど。でも、この時点では全然バレーを続けるつもりはなかったんです(笑)

――ご両親も同じ考えだったんですか? お二人ともバレー強豪校のご出身ですが。

鍋谷:そうでしたね。先ほども言ったように、普通に中学受験をするつもりで、志望校を考えて…。

――当時はご実家が東京だったんですよね?

鍋谷:そうです。家は大田区にあって、母がよく大田区総合体育館でママさんバレーの試合をしていて、自転車で観戦に行ったりしていました。当時は今のようにきれいな体育館ではなかったのですが。

――大田区総合体育館といえば、先日そこでインカレの決勝があり、女子は青山学院大学が優勝しましたが、ご両親の母校ですよね?

鍋谷:はい、母は大学時代セッターで、やはりインカレで優勝したと聞いた気がします。

――今回のセッターは高校(東九州龍谷高)の後輩の比金みなみ選手でしたね。比金三姉妹も東京から同じ学校に進学していますが、昔から交流があった?

鍋谷:ありましたね。モモさん(トヨタ車体の比金桃子選手)は私の1個上で、みなみは2個下なので、高校でも一緒にプレーしていますし。比金さんのお父さんは父と高校が同じ(法政二高)で先輩にあたるんです。その関係で私が小学生の頃から知り合いだったみたいで、同じ品川区の小学校だったこともあり、よく試合をしていました。そして、東龍の相原昇先生からスカウトしていただいた時も、先に進学されていたモモさんにお話を聞いたりしていました。

――ずっと東京育ちで、いきなり大分に行くのは不安ではなかった?

鍋谷:いいえ、むしろ楽しみでした。日本一になりたくて選んだ学校なので。行ってみたら何もなくてびっくりしましたけど(笑)

――強豪校だけに練習も厳しかったと思いますが、楽しみながら過ごせた?

鍋谷:そうですね。練習自体はそこまできつくなかったので、いろんなプレッシャーとかが苦しかっただけで、本当に充実した3年間だったなと思います。

――その時代、スパイカーとして活躍したのはもちろんですが、セッターも経験されたんですよね?

鍋谷:中学(淑徳SC中)時代くらいから、ツーセッターやスリーセッターで少しトスを上げることがあって、高校でも少し上げることはありました。

――大竹里歩選手とは中学が一緒で高校は別の道に進み、デンソーでまた同じチームになりましたね。

鍋谷:そうですね。偶然そうなりました。

――大竹選手とはお父様同士が高校が同じで小さい頃からの知り合いだそうですが、何でも話せる関係?

鍋谷:話さなくても伝わる関係かな? 私が思ってるだけかもしれませんが(笑)

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