2018-08-10 08:00 追加
「バレーボールは一人じゃできないスポーツ」サントリー酒井大祐コーチ
酒井大祐コーチインタビュー
V1リーグ 男子
この春現役生活に終止符を打ち、サントリーサンバーズのコーチに就任した酒井大祐氏にお話を伺った。バレー人生を振り返り、いろいろな人とのつながりや思い出など。前後編の前編になります。
――まずバレー人生を振り返って頂いて。 バレーボールを始めたきっかけは?
酒井:きっかけは姉がやっていたんで、 小2の頃ですね そのクラブの監督や先生に誘われて始めました。
――中学校や高校ではアタッカーだったんですよね。
酒井:そうですね。中学校では3年生の時ですけど一人で打っていました。エースでした。
――いつからリベロになったんですか。
酒井:大学1年ですね。
――その頃に取材させていただいて、東海大の先輩だった宇佐美大輔さん(北京五輪出場)にカツをいれられたと。
酒井:そうですね。 宇佐美さんもアタッカーからセッターへの切り替えがあった。自分もリベロとスパイク、特にスパイクを打ちたいという思いを宇佐美さんに見抜かれました。後は積山先生に、リベロになった方がいいんじゃないかと言われました。あの頃の4年生は絶対でしたし、 先生が言うことも絶対だったので、そこで決まりました。でも今思えばですけど、すごく良い選択をしてもらえたと思います。ただ、当時は1年ぐらいは引きずっていましたね。秋リーグぐらいまでは(アタッカーを)引きずっていました。
――大学時代は阿部裕太選手と同期で結構仲も良くて、以前も対談させていただいたことがありましたが。二人の思い出などありますか?
酒井:四年の時にインカレで勝ったとことですかね。決勝で筑波大とあたって、 阿部がチームを率いてくれましたね。途中まで飯塚が全然駄目だったので飯塚にキレていた思い出しかありませんね(笑)。とはいえ途中からは爆発してくれました。阿部も導いてくれたので、良い思い出です。あれは阿部がいたからというのがでかいですね。同期はみんな仲が良かったです。12人いたんですけど、よく12人で飲みに行ってました。
――プロ選手になったのはいつで、どんな理由だったんですか?
酒井:JT に入って丸2年社員をやって3年目のときです。 2006年だったと思うんですけど、理由は親への反骨心が一番。バレーボールじゃ飯が食えないとちっちゃい頃から言われていて。自分は野球のプロ選手のようにバレーボールのプロ選手になりたいと言っていたんです。そういう夢があったので、その夢を叶えてみよう、やってみようと思ったんです。
――山本隆弘選手とか宇佐美大輔選手とかがプロ宣言したのは影響されたんですか?
酒井:いえ、どちらかと言うと自分の勝手な思いの方が強かったです。
――親御さんに対して?
酒井:はい。(バレーじゃ)飯食えないって言われたんで、いや飯を食ってやると思って。
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