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コラム

2020-05-23 08:00 追加

カーテンコール山添信也(パナソニック)どんなときも変わらないひたむきさ

山添信也カーテンコール

SV男子

2019-20シーズンを最後に、パナソニックパンサーズから、一人のミドルブロッカーが勇退した。彼の名は山添信也。身長は189cmとミドルブロッカーとしては小柄である。長崎は五島列島の生まれで、美しい海に囲まれて育まれた。山添の生まれた日でもある今日、彼のバレー人生を今一度を振り返ってみたい。

幼い頃から、一人で遊ぶときにはおもちゃや電気製品を分解するのが好きだった。ラジオが壊れた時など「なぜ動かないのか」「どうしたら直るのか」に夢中になった。この性格は、今でも変わらない。新型コロナウイルスの影響で「おうち時間」が推奨されたときに、山添は自ら配線してバスルームにテレビを設置したり、こどもたちの遊ぶスペースを設置したりと、電気に詳しいパパとして、家庭でも活躍しているようだ。

バレーボールは中学の部活動で始め、170cmほどだった山添の身長はどんどん伸びて、県内の強豪校、大村工業から声がかかった。山添の父と恩師になる大村工業の伊藤監督との縁で、山添は進学を決めた。のんびりした中学からきた山添は、当初は強豪校の練習と気合にたじたじとなっていたところもあったようだ。しかし、ベンチから活躍するチームメイトを見ると、「自分も出場したい。コートを駆け回りたい」という思いがつのった。

試合に出たい一心の山添は、持ち前の「分析力」で上手い選手のプレーを観察し“分解”していった。2年生からは念願の試合出場を果たすが、控えめな性格ゆえ「自分が足を引っ張るのでは」と心配もしたという。

高校時代では、得意の電気工学をいかして就職・進学するか、バレーの道を進むかで悩みもした。大阪産業大学からの声がかかり、山添は腹をくくった。

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