2022-03-23 12:32 追加
ザムストPresents”Vの肖像”vol.5 小野寺太志(JT広島)「東京五輪ベスト8はそれまでの積み重ねの結果。パリではメダルをつかみたい」後編
小野寺太志インタビュー
V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子
バレーボール日本代表で東京五輪でも活躍したミドルブロッカー、小野寺太志選手のインタビュー後編です。バレーをする人なら誰でも知っているザムストが提供してお送りするこのコーナー。後編ではいよいよ代表について、オリンピックについても語ってもらいました。プロ転向の理由や、Vリーグをもっと盛り上げたいという思い、そして今の目標についても。
両親揃ってバレー選手だったが本人は野球少年として育った小野寺。JOCの選考会に選ばれたことから高校は名門の東北高校へ。そしてアンダーカテゴリではユースから代表に選出された。ユースのときは「まだ僕はド素人でした」と苦笑する小野寺。ユースの本多監督にもしごかれながら過ごしたが、そこには後にNEXT4としてブレイクした石川祐希も髙橋健太郎もいれば、あとを追って東海大学に入った久原翼もいた。「今から思えばそうそうたるメンバーの中でやってたなと。僕が試合の中で活躍できた瞬間はちょっとだけ。ブロックもそんなにできないし、スパイクもあまり上手く打てなかったし、パワーもなかったし」という小野寺は、それでも試合に出たいという気持ちは人一倍持っていた。後にJTに入ってから両親に聞かされた話だが、ユースの頃小野寺はジャンパー膝を患い、ジャンプするのも痛くて辛い、でもなんとか試合は出たい。小野寺が「どうしても明日の試合出たい」とお願いした。本多監督とコーチスタッフらが、明日のスタメンをどうするかという話をしているときに、ドクターが「出来る限りのことを小野寺選手にしました」と彼らに告げた。それを聞いて本多監督は最後の3決の試合のスタメンを小野寺で行くと決めてくれたのだという。そこまでして出た3決ではしっかり勝った。「僕は下手くそでしたけど、周りに助けられて。石川もいたし久原さんもいたし、みんな活躍して勝てた試合でしたね」。
今でもユースのメンバーとは普通に仲が良いという。しかし一時期小野寺は「石川祐希世代」と言われるのを嫌がっていた。
「それは今もいやです。代表するのは石川だと思うんですけど、彼だけじゃないというのをもっとアピールしたい。彼が突出してたのはしかたない、僕らの実力不足なので。だけどあいつがエースでいるチームに、僕はただいるだけじゃなくて、力になれるようにという思いがある。大学ではライバルだったし、絶対負けないようにと思ってやっていました」。石川だけじゃないんだ、その思いが小野寺を支えてきた。
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